60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

桜の一生

桜が満開の季節を迎えた。同じ場所に長く住んでいると桜の木にも「一生」があると気づかされる。
30才の息子が生まれた頃、近くのお寺の境内には桜の大木が三本あり、「桜爛漫」を体現したかのように見事に咲き誇っていたものだ。娘が、息子が幼かった頃に近くの公園で撮った写真の背景には、必ず美しく咲く桜で縁どられた池が写り込んでいる。
今では、それらの木は、切り株だけになっていたり、枝が大幅に切り落とされたりしている。残された幹も老い、かつての美しさは見る影もない。特にここ数年でその傾向が一気に進んだ。桜の季節を迎えた今年は、寂寞とした思いばかりが胸をよぎり、カメラを向けたいと思う景色には出会えていない。
名所の桜は別格として、市井の桜の木の樹齢は樹木の中では比較的短いと聞いたことがある。子どもたちも30年以上、私自身は60年以上、同じ桜の木たちとともに歩んできたのだから、これも自然の摂理と言えるのだろう。
桜は、花のはかなさに留まらず、樹自体もまた、時の流れの中では、限りある命の樹木なのだと改めて思う昨今だ。
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[桜の季節に咲く雪柳が、若い頃から大好きだった。今週、思わず立ち止まってカメラを向けた花は、桜ではなく、母のホームの近くに咲いていたユキヤナギだった]

ちなみに、ブログタイトルの画像は、東京の桜の名所、千鳥ヶ淵の7年前の桜だ。大切に手入れされているから、不老不死は無理でも、長寿の桜だ。

2012 Paris 写真家Doineau展

[かなり長くなるが、パリに住んでいた時につけていたブログをコピペ掲載する。]

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2012/4/12

 以前から気になっていた展覧会に行ってきました。Hotel de Ville(パリ市庁舎)で3月半ばから開催されている写真展「ドワノ―、パリ・レ・アール」。レ・アールはパリのかつての中央市場、いわば東京の築地のようなところ。20世紀のフランス屈指の写真家の一人、ロベール・ドワノ―氏の愛着がひときわ深い場所、忙しい仕事の間を縫って撮りためたレ・アールの写真200点余りを一挙公開した写真展です。
正直なところパリに来るまでドワノ―という名前すら知りませんでした。3月に同じHotel de Villeにサンペ(Sempe)のイラスト展を見に行ったときに偶然知ったのがきっかけです。市庁舎の内でサンペとドワノ―の展覧会が同時開催されていたからです。地下鉄駅から地上に出た時に、目に前に長い行列があったので並んでいたオバサンに尋ねたところ、サンペ展という返事がくるとばかり思っていたら「ドワノ―展よ」。サンペ展より長い列ができていただけに興味を引かれました。そのあと新聞の日曜日版でも取り上げてあったので、「パリジャンの胃袋」とよばれていたパリの中央市場les Hallesに働く人々の日常を、ドワノー氏が撮ったものであることを知りました。食に関心がある私にとって、いにしえのパリの台所(胃袋)の姿を是非見てみたいと思い、ぜひ行こうときめていました。
11時に現地に到着すると、前回の以上の長い列。「ここから入場までおよそ1時間半」と書かれた看板。今日のパリはこの時間でも7-8℃しかない寒さ。こんなに寒いと思わず厚手のコートを着て行かなかっただけにじっと立っていると寒さがこたえる。出直そうかと真剣に悩みましたが、今日を逃したら見られないと思い、並ぶことに。雨用帽子や手袋など、ありったけのものを身につけ、出発直前にバックに入れた文庫本のおかげで待ち時間の長さも寒さも忘れて過ごすことができました。結局入場したのは55分後。
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待ちに待った建物の中に入る直前にうしろを振り返ると、まだまだ列は途切れることがありません。こんなに寒い中、あきらめずに待つ人が後を絶たたず、連日混みあっているという事実に驚きを感じました。それも観光客ではなくフランス人と思われる人たちばかりです。会場内の言語ももちろんフランス語のみ。
さて写真展は、見ごたえがありました。白黒写真のよさと迫力が前面に出ています。明け方のまだ暗い中、電球に照らされた市場の活気と人々の生き生きとした顔が印象的でした。アメリカのLife誌からの依頼まである売れっ子写真家として多忙を極めていたはずの彼が、週2回のペースで夜中の3時に起きだしてこの市場の写真を撮りに通ったそうです。常連となり働く人と顔なじみになっていたのでしょう、レンズに向けられた顔はすてきな笑顔や表情。レ・アールで働く人々のありのままの生活ぶりを撮らせてもらっていたのがわかります。都市開発の波に呑まれてこの市場はこののち数年後に取り壊される運命にありました。それだけに、何としてもパリジャンの魂の証ともいうべき市場の情景を「1枚でも多く記録に残さなくてはならない」という写真家としての使命感に駆りたてられていたのが見てとれます。パリとそこに暮らす庶民たちを愛する人間・ドワノ―の、レンズをのぞく温かく切ないまなざしが写真を見る人にまで伝わってきます。
オルセー駅やリヨン駅などに相通じる鉄骨の機能美がみごとな市場の建物。ぎっしりと積みあげるように並べられた野菜。混沌としたようでいて秩序がある店構えと人の流れ。そして、朝市の終了直後のゴミ、ゴミ、ゴミ…野菜くずの山…。あたかも写真から音やにおいが伝わってくるようです。
知っている、この感覚! 戦後の闇市の名残といわれた荻窪のマーケット、25年前のバンコクのアソーク市場、90年代の韓国ソウルの南大門市場やノリャンジン魚市場…、みんな同じ空気が漂っています。アジアだけではないのね、ヨーロッパでも同じだったのね、と実感する。陳腐な言葉を使えば「人間臭さ」。
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そんな中でも牛肉や豚肉(+鹿などのジビエ)の卸業者たちの区画の写真が強烈でした。通路両脇に一直線にぎっしりと逆さにつるされた皮を剥かれた牛、牛、牛。一頭の肉の塊を難なくかつぎだしていく人力たち(Fortsとよぶらしい)、まな板の上に目を閉じてのせられた“ギロチン”状態の豚の頭、そしてその脇に包丁を持って立つ“断頭執行人”いや、肉屋のオジサン。肉を扱う人たちの白衣はモノクロ写真といえども、むしろ、だからこそといえるほど血で汚れているのが生々しい。これだけは、築地の魚市場にはない、肉食文化圏特有の光景といえましょう。
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会場ではSempe展の時と同じように、みな一枚一枚丁寧に眺めていきます。フランス人たちはどんな思いで眺めているのでしょう?
「これがほんとうのパリよ」「古き良きパリはもう失われてしまった」「なんでこんなに活気のある市場を壊すことにしてしまったんだろう」 誇り、郷愁、悔恨、愛国心…もしかしたら「やっぱり私たちフランス人の食の原点はどっしりと食べる肉料理やcharcuterieよね~」と思っているでしょうか。
レ・アールの市場は1969年に、パリ東部に新たに作られたRungis市場に移転し、その後70年代に入って取り壊されてしまいます。その取り壊しの様子、ぽっかりと巨大な穴が空いた市場跡なども克明に写真に記録されています。更地を虚ろなまなざしで眺め入る人々の顔まで。この光景、不適切な比較を承知で敢えて書くと、9・11の1年後にNYのグラウンド・ゼロを眺めたときに通ずるものがありました。もちろん他者による破壊と大量殺りくという行為と、自らの意思で取り壊す行為とは対極にあります。ただ、どちらの場合も、見入る人々の顔には「とても大切なものを失ってしまった」という表情がみてとれました。とくにレ・アールの写真には、近代化という命題のもとに苦渋の決断をし、自分たちの手で壊してしまったという悔恨がにじみ出ているように感じました。
偉大な写真家のおかげで、たとえ写真だけであってもパリジャンの大切な遺産が、後世のために残されたことに感謝し、子孫にまで受け継がなくてはいけないと思ったフランス人が多かったのではないでしょうか。
対する日本では、移転計画がある築地市場の記録を、ドワノー氏のように、継承する文化遺産として撮り残してくれている人はいるでしょうか?21世紀までせっかく生き残っている築地、できることならば失いたくないと改めて思いました。パリの胃袋が変わってしまったのと同じように、築地がなくなれば東京の胃袋も必ずや元と同じではなくなってしまうのではないでしょうか?
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2021Tokyo 写真家ドアノー展

昨日、振替休日をもらえた娘と、20世紀半ばのパリにタイムスリップしてきた。今月末までBunkamuraで開催されている「写真家ドアノー/音楽/パリ」という展覧会を観に行ったのだ。

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ロベール・ドアノー(Robert Doineau)は、報道誌やファッション誌などで働いた職業写真家だ。その一方、仕事を以外のオフの時間には、カメラを携えて、パリで暮らすさまざまな階層・職業の人々の姿と暮らしを切り取るように撮影してまわった人だ。

ドワノー氏の写真を初めて見たのは2012年。当時住んでいたパリの市庁舎で開催されていた写真展に一人で観にでかけた。とても寒い日だったにもかかわらず、市庁舎の前に長い列ができていて、彼の人気ぶりに驚かされたのを思い出す。その時のテーマは「卸売市場で働く人々」。かつてパリの中心に、築地市場のような中央市場があったが、ドアノーはそこで働く人々の姿と表情をみごとにモノクロ写真に刻みつけていた。世界が憧れる華やかなパリの陰で、夜明け前から働く別のパリの人々の生々しい姿と人間臭さに圧倒された。

それ以来、ドアノーの名前は私の心にしっかりと刻まれていた。今回も写真展を偶然に知ったのだが、なんとしても観に行きたく、緊急事態宣言の解除前だったが行くことにした。友だちを誘わずに一人で写真と向き合おうと思っていたが、娘と二人で行くことになった。

娘も、父親が社会人になって間もない1970代に語学研修と勤務でフランスに4年間暮らしたことを知っている。私たち夫婦がパリに住むことになる年の始めに、当時まだ住んでいたスイスに娘が日本から来た時に、彼女のたってのリクエストでパリ旅行を二人でした。今回の写真展へ行くことを誘ったら「HPを見てみたけれど、白黒のパリの写真、面白そう。みてみたい」と娘。

ドアノーが切り取ったパリと、写真の脇に添えられた短くも気が効いた解説文を読みながら、、二人それぞれに感慨深く見入った。私にとっては、しばしのセンチメンタルジャーニーとなった。

作り置き料理

何歳になっても新たな学びはあるものだ。

昨日は、最近流行りの作り置き料理を扱った一日講習会に参加した。

非常に面白く、学ぶところが多かった。私の料理教室とは全く異なるベクトル上の料理のスキル。もちろん根底を流れる基本理念は、今日の講義部分で先生が述べた「おいしく、安全に」と変わらない。個人的につけ加たい共通項は「手作りで、家庭の味を」。

メディアで売れっ子の「伝説の家政婦」こと、タサン志麻さんをご存知だろうか? クライアントの自宅に出向き、3時間の滞在で作り置き料理を10-15品作るという伝説の料理人だ。

NHKの「プロフェッショナル」の番組での彼女の密着取材を見て以来、今日的な作り置き料理というものに興味を持った。小さい子がいる共稼ぎの家庭が多い現在、家事や料理を誰が担うかが問題となっている。息子のお嫁さんも、料理好きであるにも関わらず、帰宅してからの時間が足りず、毎日の食事作りに一番悩まされるという。平日の助けになればと思って、バアバは機会あるごとにジップロックなどにおかずを何種類も詰めて持たせる。しかし、もう少し効率的に作ったり詰めたりできないものだろうか?とモヤモヤしていた。

もう一方で、今年に入って母がホームに入居するまで、母の食事作りに追われ、悩まされた。グルメな老人のための糖尿病食や、私が外出する際の老人でも扱える作り置き料理などに。

そんな中でこの講習会をインターネットで見つけた時、ほとんど迷うことなく申し込んだ。

来月から再開しようとしている料理教室が私の生活の主軸であることには変わりない。しかし、料理に携わっている者だからこそ、今日の都会型の家庭の食事情について、全く別の角度から眺めてみたかったし、知識やスキルを身につける必要があると思った。期待を裏切らず、百聞は一見にしかずだった。

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学んだことが、身内や身近な人、助けを必要としている誰かの役に立てば、こんなにうれしいことはない。

 

 

あれから10年

前回のブログから一週間経ってしまった。実は、前回の3月8日は夫の誕生日だった。この世にいたら、古希を迎える節目の日だった。10年前の還暦の誕生日は、当時住んでいたスイスで、夫が大好きだったスキーを、晴天のマッターホルンを望みながら一緒に滑って迎えた。「神様からの還暦のプレゼント」と当時のブログに書いたと思う。まさかその3年後に、この世を去るとはだれが想像しただろうか。

3月10日は東京大空襲の日。そして3月11日は東日本大震災から10年目の日。あの大震災は、思い起こせば夫の還暦を祝った三日後のことだったのだ。

欝々としながらこの1週間過ごしたわけではない。しかし、いつもと変わらぬトーンでブログを書こうにも書けなかった。さまざまな思いにふけっていた。

未曽有の大災害に見舞われて、家族を失った方々、命は助かっても生活の基盤をすべて失った方々の悲しみと絶望は、その深い傷を心に負った者にしかわからない。一瞬にして、一日にして、昨日まで当たり前と思っていた最も大切なものを失った衝撃と悲しみは、想像をはるかに超える。神様から、別れを告げる時間を与えられた自分は、何と幸せ者なのだろうとおもわずにはいられない。

この一年の、多くの死者を出しているコロナによって、自分が恵まれていたことを再認識している。コロナの犠牲となったご本人と遺されたご家族のお気持ちを思うと心が締め付けられる。

2011年から10年という歳月は確実に流れてしまった。世界的なパンデミックに見舞われた2020年から10年後の2030年もまた確実に訪れる。遺された家族にとっては時計の針が止まってしまっているのだが、時は刻々と進んでいく。私など、7歳も年上と思っていた夫の亡くなった時の年齢に5ヵ月前になってしまい、時の流れを思い知らされている。

一年ごとに春は訪れ、新しい命が生まれ、芽吹きの季節を迎える。自然が生みだす命の力と私たちの心に与えてくれる癒しの力に心の周波数を合わせ、そのかすかな電波をキャッチした時の心のトキメキを大切にすること。日々の生活の中のこのちいさなトキメキが、私にとっては一番の心の薬になってきたのではないかと思っている。

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 [昨日の大きなトキメキ💓

このところの暖かさで、公園の桜も一気に膨らんだ。帰宅してみた夜のニュースで東京の開花宣言を知り、大きくうなずいた。この辺りは毎年、都心よりわずかに遅れて咲き始める]

 

 

 

💕 以心伝心 💕

昨日、池に向かって坂道を下っていくと、木々の間から、白と黄色のボートが水面を横切っていくのが見えた。3月を迎え、早くもボートの季節が到来していた。
ローカルな公園なので、観光地などによくある白鳥の形はしていないが、カップル、親子連れ、若者たちが、水面をパタパタと進んでいた。反対に、この間まで冬じまいのボートで溢れていたボート乗り場は、見事なほど空っぽ。
あいにくの寒い日曜日だったが、緊急事態宣言の延長で、人々は、密を避けられる究極の場所ともいえる水上へと、漕ぎ出していたわけだ。

息子家族の子どもも3歳になったから、この足漕ぎボートならば、きっと親子で楽しめるだろうな~と思いながら、ボートののどかな動きを目で追った。いつもならカモたちの動きに注目するところなのに、笑。

するとなんと、以心伝心!
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夕方、息子たちから写真が届いた!
シートにちょこんと座って手作りの小さい🍙と卵焼きをほおばる孫の写真とともに💓
私がボートを眺めていたのとほぼ同じ頃、ほんとうに三人は、別の池で、家族水入らずのひとときを楽しんでいたのだ!孫がハンドルまで握って…
ーー息子の受験は、ほんとうに終わったのだと実感した瞬間だった。

人事を尽くして天命を待つ

30歳の息子の「受験」が終わった。海外留学を目指してから一年半ちかく。様々なハードルを越え、目標に向けて一歩一歩進んできた。先週受けた二校の面接試験がラストとなった。
「試験会場」は、我が家。開始時刻は、それぞれ21:00と朝の8:00。3歳の子がいる息子の自宅では無理だし、会社でも対応できない時間帯だったためだ。後半の半年間、何度も我が家がリモート面談・バーチャル海外訪問の会場、宿泊&試験勉強部屋となってきた。
金曜日の面接が息子の本命校。「ベストを尽くせた。これで落ちても悔いなし。あとは天命を待つのみ。」
面接終了後、部屋から出てきた息子の第一声。それはよかった!こちらまですがすがしい気持ちになれた。
この1年余り、仕事を普段通りこなし、家庭では(不十分だったに違いないが)育児を分担しながらの「三足わらじ」。お嫁さんの理解と協力、各方面の協力者の応援なくしては今日にたどり着けなかったと思う。3歳の孫も、「パパのために」たくさん我慢をしてくれた。みんなに感謝だ。
そして、何度も壁にぶつかり、打ちのめされながらも、あきらめずに這い上がり、最後まで頑張りぬいた息子の努力と精神力に親として拍手を送りたい。

※ちなみに、「もう二度とやりたくない。仕事と家庭と受験、もうムリムリ!」が第二声だった。。。
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[12年前の3月下旬、大学受験が終わったばかりの息子は、父親が単身赴任していたスイスを訪れ、男二人で冬の旅を楽しんだ。
そのときにねぎらってくれた父はもういないが、今回は、自分の家族三人で過ごす時間が、長い戦いの疲れを癒してくれることだろう]