60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

65歳の節目

小学校時代の親友Kさんのバースデー祝いを兼ねて同級生三人で木曜日に我が家に集まった。昨夏のオリンピックの時に何度か集まり、お弁当とビールとアイスを食べながら一緒に観戦する楽しさの味をしめたメンバーだ。今回も18時まで仕事があったKさんを除いてNさんと私で用意、かかった諸経費は折半。私は昨年に続いて、野菜中心の副菜の担当(今回は旬の東京ウドを使って4品作り、食べ尽した!)

今年、私たちはみな65歳になる。公的に「高齢者」とレッテルを貼られてしまう年齢だ。Kさんは4月生まれなので気の毒にトップバッター。

この歳になると、さすがにそれぞれが歩んできた道も、家族構成も、現状も異なる。Kさんは1980年に、当時まだ珍しかった一流企業の総合職に採用され、キャリアウーマンとしての道を貫いてきて現在に至っている。「親会社はとうの昔に退職して子会社にいるけどね」とKさんは謙遜して言うが、男女機会均等法や、職場での女性への待遇が今日のように改善される前からずっと頑張り抜き、今なお現役という事実は敬意に値する。

Nさんは、結婚後、ご主人に同伴して中国での駐在員生活を幼子とともに経験している。80年代のまだまだ発展途上の中国での体験談は同時期にタイで暮らした私には身につまされる。Nさんのすごいところは、ある時期から彼女の実家が経営している会社に関わることとなり、専門知識ゼロのスタートながら会社再建への道筋の片棒をかついだことだ。さらにオフでは、いまだに留まることを知らない知的好奇心と行動力のNさん。

私といえば専業主婦で、裏方として夫と家族をサポートしてきた人生だ。その夫を8年前に亡くし一人生活になったが、高齢の実母の介助、息子家族のサポート、娘の成年後見人として相変わらず「後方支援」は続いている。

しかし、歳月はだれにも平等に流れ、還暦と古希の中間の節目の年を迎えている。それぞれに立ち止まり、歩んできた道を振り返り、そして「このさき」に想像を馳せる。人生100年時代という一方、女性の健康寿命の平均は75歳ぐらいと聞く。「健康で居続けようね」が早くも合言葉になりつつある。しかし、ある日突然、月単位の余命宣告され、その予測通りに夫がこの世を去ってしまっただけに、運命には逆らえないと、どこか天命任せになっている自分がいる。あれほど健康に気を使っていた夫でさえ…と思ってしまう。

結局は、今という時間を精一杯、前向きに生きることに尽きるのかなと思う。コロナ下でよく聞いた表現だが、老齢期についても「正しく恐れる」。ポイントを押さえて備えたら、あとは、ポジティブ思考で生きていきたいものだ。日々の小さな幸せをさがしつづけていく人生の旅。笑われそうな例えだが、今回の1本のウドだって、むいた皮も、捨てずに取りおいた鶏皮ときんぴらにするとおいしい一品になる (^_^)v  使い方次第、心の持ちよう次第…。

とはいえ、こうした気持ちで居続けることが意外とむずかしいのかもしれないのだが。

 

Easter Egg

17日の日曜日がキリスト教世界の復活祭だった。バチカンのフランシスコ教皇が例年にも増して痛切に平和を呼びかけた姿と声は記憶に新しい。

復活祭といえば、3月の料理教室では、一足早くイースター(復活祭)をテーマにしたランチ会を開催した。卵が復活祭のシンボルの一つであるので、テーブルアレンジにもメニューにも卵を使い、またテーブルクロスはレモンイエロー、デザートはレモンパイと黄色を散りばめた。

そうしたEaster eggについて、11年前にスイスのベルンに住んでいた時に書いたブログがあるので紹介することにする。補足説明となるが、当時、フランス語会話のサークルに参加していて、場所はメンバーの自宅を持ちまわり。偶然、当日は私の家での開催だっただけに更に思い出深い。

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2011年4月21日

ブログタイトル「Easter Egg 談義」

先生役のNatalieがEaster Eggに関する興味深い記事を持ってきてくれました。今年のイースターは非常に遅く、今度の週末です。暖かい春の陽射しが射しこむ部屋で、皆でテーブルを囲んでles Oeufs de Paques(イースターエッグ)談義に花が咲きました。フランス、デンマーク、ポーランド、ルーマニア、スロベニア、スイス、そしてイラン…。復活祭の卵ひとつとってもキリスト教社会とひとくくりにできない多様性を知りました。
【新聞記事の概略から】
○新しい命・再生のシンボルとして、卵を装飾したりするしきたりはキリスト教以前の原始宗教にさかのぼる。
○careme(キリスト教の四旬節、復活祭の前40日間の断食の期間)の間は肉のみならず卵も食することが禁じられているので、復活祭の時の卵はご馳走。
○中世の頃より装飾した卵が(ロシア正教、ギリシア正教、西欧カトリック教など)キリスト教と結びついて様々なしきたりを生み出す。
○フランスの宮廷やロシア皇帝などが発注した贅を尽くした卵は有名である。
○卵にチョコレートを流し入れたチョコレートの卵が誕生したのは18世紀のフランスが初めて。
○この時期に茹で卵をぶつけ合って勝ち負けを競い合う遊びもイギリス、東欧各地に残っている。
――などなど。この記事を読んだみんなは、自分の出身国の復活祭にまつわるしきたりを披露し合い、ひとしきり盛り上がりました。
○イースターを象徴する色:黄色。スロベニアでは赤はキリストの血の象徴。
○イースターのシンボル: ヒツジ、時にはウサギ。ウサギが卵を持ってきて庭に隠す(ドイツ)。
○各家庭で手描きの美しい装飾を卵に施す伝統がある。(ポーランドほか東欧諸国)
○長方形のケーキに仔羊の模様を描いたケーキを作って祝う。(ポーランド)
○クリスマスツリーのように卵を木につるして飾る(主にドイツ語圏)
○各家庭の主婦たちは復活祭の日に、豪華なご馳走を美しく盛り合わせた籠を、神父様からの祝福を受けるために教会に持ち寄る。祝福を受けたご馳走を持ちかえって復活祭の食事を祝う。豪華な籠が祭壇前にずらりと並べられたさまは圧巻。主婦たちが豪華さを競い合う場と化している。(ポーランド)
○イランでは、数千年の昔から春祭りの際に装飾した卵を用意するしきたりがある。
○Lis de Paques(easter lily):白いてっぽうユリがイースター・聖母マリアの象徴。
――アジアの国出身のわたしは、初耳の話も数多く、ヨーロッパの中心に住んでいることもあって臨場感も加わり、とても興味深く感じられました。夫が一昔前にルーマニアに出張した際に持ち帰った美しい装飾のイースターエッグが記憶によみがえり、今になって初めて、なるほど東ヨーロッパの習慣だったのだと納得しました。

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2022年4月に戻るが、ウクライナの主要な宗教は東方キリスト教。先日の日曜日は、本来ならば、日本人にとってのお正月のように、大切なお祝いの日だった筈だ。マウリポリの製鉄所の地下空間に1000人以上の市民が長期間にわたって避難生活を強いられていると報道されているように、まだ多くの人々が国内で緊迫した避難生活を送っている。春の光りの中で喜び祝っていた昨年までの復活祭を思い出すだろうに、一体どんな思いでこの日を迎えたかと想像するとほんとうに心が痛む。 

 

東京のソメイヨシノは葉桜へと姿を変えたが、昨日は京都や(静岡の)冨士霊園の見事な垂れ桜の写真が友人たちから届いた。我が家から徒歩1分のお寺の垂れ桜もひっそりと満開を迎えている。
そして今朝、我が家の窓辺の桜がようやく開花した。5年ほど前にある友人からいただいた鉢植えだ。ふっくらとした桃色の蕾と花弁がなんとも愛らしい桜だ。四季の手入れが悪く、一部枯らしてしまったし、花づきも悪くなった。それでも、今春もまた、けなげに花をつけてくれた。
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ウクライナ色のビオレとネモフィラと交わるように一輪、一輪と咲く姿を感慨深く眺めている。
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[近所の垂れ桜]

料理教室のアルバム制作

[前にブログにつづく]
二つ目のパターンのアルバムはまだ届いていない。郵便の配達業務の規定が改正されたことを実感する。
そこで、もう一件の写真整理、アルバム作成について書くことにする。
毎年一冊作る料理教室の写真集だ。4月を新年度として主宰しているので、3月の教室が終わると一年分の写真をアルバムにまとめる。コロナの前は、二種類。偶数月の「復刻版コース」と奇数月の「グルマンコース」。90年代から教えてきたレシピの中には我が家の十八番のレシピが数々ある。それらを今風にアップデートして復刻・紹介するのが前者。後者は、長く通ってくださっている方や「今さらそこまで丁寧に習わなくてもいい」という方のための、会話と食事を楽しむ要素が強い。レシピがあるものは差し上げるが、作り方は口述する程度だ。
2019年度まではコース別に一冊ずつ作成し、レギュラー会員の方の特典としてお分けしていた。
しかし、2020、2021年度は度重なる緊急事態宣言で開催回数が半減した。アルバムは一年分を一冊にまとめた。
今回のアルバムは、制作時期が大幅に遅れ、先週末の二日半ほどで仕上げた。しかし、その間にも、ウクライナの情勢は悪化の一途をたどっていた。仕上げたときには、今年の写真集の売り上げは、先月に続き、UNHCRに寄付しようと決めていた。
更に、レギュラーの方限定というくくりは今回は取り払い、チャリティーとして、希望される方には何冊でもお分けしようと決めた。
[※注: 発注した4/3の夜には、まだウクライナで起きたジェノサイドは明るみになっていなかった。わずか数日後のことなのに、今はただ衝撃で言葉が見つからない。]

現在、4/7の14:00。明日からの教室の買い出しを終えて帰宅。料理教室のアルバムと「2ndパターン」の課題アルバムの両方が届いた。これからチェック予定。明日からの教室が始まる前に滑り込みで間に合ってよかった。

最後になってしまったが、お二人の方への感謝の気持ちをここに記したい。料理教室のアルバム作成は4年目となるが、制作が続けられているのは、お二人の名カメラマンによるところが大きい。私が作り上げる料理は、料理の撮影が目的ではなく、なるべくベストな状態で皆さんににおいしく召し上がっていただくためのもの。そのため、私はサービスに追われ、写真がほとんど撮れない。お二人は、プロセス写真と料理はもとより、テーブルアレンジや部屋全体の雰囲気も撮ってくださっている。手持ちの品で、空間演出も工夫している者としては、うれしく、とてもありがたく思っている。
Nさん、Kさん、素晴らしい写真を毎年、毎回、撮り続けてくださっていて本当に有難うございます。心から御礼申し上げます🙇

[届きたてホヤホヤの2021年度版も加えて]

写真整理

三月の料理教室が終了してから2週間近く経過した。いつもならば、料理教室関連の写真をアップするのだが、二月以来していない、いや、できないでいる。1ヶ月前はオミクロンの感染者数がピークに達していたし、深刻化するウクライナ情勢が心の底でブレーキをかけている。

このためらいとあわせて、2週間前に久々に写真整理協会主催の講座を受講し、(自由)課題を出されたことが、ブログをご無沙汰してしまった理由である。

4月下旬に開催される2回目の講座までに、少しまとまった数の手持ちの紙焼き写真を実際に整理してみる、という当たり前のような課題。しかし受講生は(私を含め)全員、写真整理アドバイザー。この当たり前のプロセスを行うことによって、改めてみえてくる課題や問題点をシェアして意見交換することになる。一回目の講座の時ですら、受講者の経験、立場、年齢などで写真整理に対する視点が違うことがわかり、非常に興味深く勉強になった。

一昨日、ようやく自分が設定した課題の2冊目が仕上がり、発注した。2冊目の方には、末尾に「あとがき」のような文章を入れたのでここに引用する。

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2020年春、コロナ蔓延に伴って料理教室を中止した期間に、家族の30年分の写真を[デジタルデータ化し]3冊のアルバムにまとめ上げた。続いて夏に、母の米寿祝い際して、父と母の人生の歩みも一冊になった。

私の人生はこれらでほぼ網羅されたのだが、屋根裏に一冊のボロボロのアルバムが捨てずに残されていた。12歳の私がまとめた生い立ちの写真記録。また昨秋、義母が[夫が幼かった]リオ時代の写真だけは残してあったことを知った。[婚家の人間として]データ保存し、できればアルバム化したいと思っていた約30枚。

今まで整理していなかった亡夫と私の子ども時代の写真を合体し、[同じデータで]ニつの別の形式のアルバムを作ってみることにした。片方では字数制限がある中で「言葉」による説明を添えるよう努めた。

1980年4月5日、満開の桜の中、桜の名所・千鳥ヶ淵に近いホテルで夫と私は結婚した。亡くなる直前には、偶然にも千鳥ヶ淵に仮住まいし、桜の花の悲しくも美しい短い命の一部始終を愛でることとなった。私の「お花見」はあの年で完結したように思う。2014年4月12日に夫がシャッターを切った新宿御苑の八重桜がさいごとなった。

     2022年4月5日

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※注:アルバムの最後の3枚は、私たち夫婦の結婚写真、亡くなる直前の結婚記念日の写真、そして夫が撮った八重桜。

このようなわけで、不慣れなスキャナーその他、写真整理の”三種の神器”と、古いバージョンのOSのPCと格闘するとともに、婚家と実家の古い写真と向き合う濃厚な時間をすごしていた。既に1冊目は本日届き、別の形式の2冊目はちょうど結婚記念日の4/5頃に届く予定だ。4/8から始まる料理教室の前に一段落。ヤレヤレだ。

ーーこの続きは、二冊揃ってからまた書きたいと思う。

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ウクライナ

昨日は彼岸明けでは異例の寒さの日だった。東京郊外の我が家では終日みぞれが降り、お昼頃には一時、雪に変わったほどだ。

暖気を逃さないよう、朝いつもより遅めに食堂の窓のブラインドを開けた。そしてショック!黄色のビオレは元気なのに、水色のネモフィラだけがくったりと萎れていた!前日、朝から晩まで出かけていてチェックを怠った間に、水を切らしてしまっていたのだ。

ウクライナに思いを馳せながら窓辺にウクライナ国旗の色の花を飾っただけに、縁起でもないことをしてしまったと自らを強く責め、悔いた。

柔らかい茎と繊細な花びらであるだけに絶体絶命と思いつつ、一縷の望みを託して水をたっぷりあげた。

夕方、外出から戻って見ると、花姿は乱れてしまったが、花も葉もシャキッと蘇っていた!水枯れさせてしまった苗が生き返ったのを見て、昨日ほど安堵し嬉しく思ったことはない。

ウクライナの前途と重ね合わせ、まだ希望があると思えたからだ。

ちなみに今朝みたら、乱れていた茎が整って空を向いて美しく咲いていた。はかない花の生命力にいっそう感動した。(写真は昨夕の乱ているけれど元気になった姿)

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萎れさせてしまった罪滅ぼしではないのだが、ようやく最終回を終えた3月の料理教室の収入の一部を、ウクライナ支援のために寄付する手続きを昨日とった。微々たる金額だが、それでも難民救済に少しでも役立つのであればと願って。

Ukrainian poppyseed cakeを教室で紹介した者として、教室の回を重ねるほどに深刻化していく情勢に、居てもたってもいられなくなっていたのだ。

ウクライナの凍てつく寒さは昨日の東京の比ではない。

極限状態にある人々に、復活の日が訪れることを祈りたい。

 

不思議な縁の若い友

思いがけないうれしいメールが届いた。
不思議な縁でつながっているMOさんからだ。
娘よりも若い30代。Mさんは、夫が癌で入院していた病院の医療ソーシャルワーカーだった。夫が、残された時間を自宅に戻って過ごすと決めたとき、地元の医療機関などへの橋渡しを万全に調え、重篤な夫がストレスなく帰宅できるよう手配をしてくださった。その準備のため、病院で私たち夫婦と彼女が会ったのは退院一週間前くらいからわずか数回だけだったと思う。

それなのに、夫が亡くなってまもなく8年となる今まで、Mさんとの交流が続いている。夫が亡くなったのち、幾度か会い、我が家にも遊びに来て、娘にも母にも会ってくださっている。
ここ数年は年賀状のやり取り程度だった。結婚報告の年賀状が届いたときは喜び、祝福の言葉を送った。
そして昨日、なが~い近況報告のメールを送ってくださった。暮れに第二子を出産し二児の母になったという。姪のことのようにうれしい。

夫の退院のときに戻る。
思い返せば彼女と接した時間は極めて短かった。だが、その一刻一刻は真剣で濃密なものだった。
退院の日、「この運転手さんはこの仕事をしている人の中でもピカイチなんです」と言って介護タクシーの運転手さんを紹介し、夫が車イスで乗り込むところまで見送ってくださった。
最後に私が乗車する直前に、Mさんと私は、互いに目を見つめあい、どちらからともなく手を差し出してかたく握手を交わした。なんと言ったか覚えていない。その一瞬の互いの掌の熱量にすべてが込められていた。
それから20日後、夫は亡くなった。

しばらくのちにお礼の手紙を彼女に書いた。私たち夫婦が幸せな最後の三週間を手に入れられたのは、ドクターたちのご尽力はもちろんだが、彼女のお陰だと思ったからだ。
更に半年以上経ってから私たちは再会した。そのとき以来、ゆるりとした付き合いが続いている。
ここ数年の間に結婚、退職、年子の出産と、Mさんのライフステージは大きく変わった。二児の母となって育児を楽しんでいるのが文面から伝わってくる。さらに、国家資格取得のための勉強まで始めているという。キャリアアップや焦りからではなく、彼女は純粋に天職と捉えているからなのだ。

優秀な女性のキャリアと結婚、育児や家事などのライフワークバランスについて、最近、私の周りの「バァバ集団」の間では度々話題になる。専業主婦だった私たち世代と違い、このバランスを取るのがとても難しいと。
どう考えても絶対にたいへんな筈なのに、こんなにも自然体で伸びやかに、難しいバランスをとることに成功しているMさんに驚嘆し、拍手喝采。たくさんのエネルギーと刺激にも感謝!

夫は最後まで運がいい人だと思ったものだが、改めてMさんとのめぐりあいは、私たち夫婦にとって、そしてその後の独りの人生を歩んでいる私にとっても、この上なくラッキーなことだとつくづくと思う。
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