60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

Family History月間⑤:義母のリオの思い出の記

休みの8月に立てていた企画があと一つあった。

サ高住にすむ92歳の義母を取材し、1950年代に義父の転勤先のブラジルのリオデジャネイロに家族で赴任した話をまとめること。

8月の最後の週の空いている日に義母のもとに出向いて取材。

3年以上前に、被爆者手帳を持つ母に広島での戦争体験を取材してまとめたことがあった。

その時から「次は、ぜひリオの話を聞かせてほしい」と頼んであったこともあり、聡明な義母は準備して待っていてくれた。

2015年に私が買って届けた書きこみ式の「自分史年表」に、母の90年の人生の記録がぎっしりと書きこまれていたのには驚いた。

リオの3年間は、特に丁寧に書きこまれていた。

その内容を読み合わせしながら質問する形で、どんどん「取材」がはかどった。

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飛行機で赴任した義父から遅れること1年、母は、5歳だった(私の)夫と1歳になったばかりの次男とともに、ぶらじる丸に乗って44日間かけてリオデジャネイロに行っているのだ。(3年後の帰路も同様に)

新天地を夢見てブラジルを目指した移民たちも乗船していた貨客船。

母の親子があてがわれた4人部屋の二等船室で子供の世話をし、海水でオムツを洗う日々。同室の若い娘さんは、ボリビアに住む、会ったこともない日系移民のもとに嫁ぐ人だったという。今日のクルーズのイメージとは全く違う、苦行の旅。

聞きごたえがあり、貴重な体験談だった。

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9月の料理教室が始まる前までに、またまた5日間ほどで草稿を書きあげ、母に送った。

もう少し詳しく聞きたい部分は質問と空欄を設けて仕上げた原稿。

10日もしないで、返信封筒に入った原稿が戻ってきた。こちらの「取材」に答え、空欄には記述がいっぱい、その他の箇所では訂正少々、加筆などなど。専業主婦だった90代の老人とは思えない見事な対応。

母の熱意に応えねばと、またまた必死に修正して、第二稿を送る。

そして、昨24日に「訂正するところはない。原稿は喜んで手元に置きたい」と手紙だけが戻ってきた。

そのうえ、心からの感謝の言葉が記されていた。

「90余年の人生の中で、一番印象深かった思い出はやはりリオだった。

そのリオについて、思い出を書き残してくれて本当に感謝している」と。

嫁として、これ以上ないありがたい言葉。

逆縁で長男を亡くし、悲しく寂しい思いをしている母に、「今まで生きていてよかった」と思ってもらえるプレゼントができてよかった。

息子夫婦やまだ幼い孫(義母にとっては曾孫)に、おばあちゃんの勇気、亡くなったお父さんの子供時代について伝えられる手記ができてよかった。

ーーということで、その①~その⑤まで、ファミリーヒストリーがマイブームとなった2ヵ月間でした。

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[太平洋上で幼児期の長男が、船の残飯を追いかけてついてくるイルカの群を度々みたという。いつも何種類か購入しては義母と半分ずつシェアする記念切手、イルカの図柄を見つけたので思わずゲット]