60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

ばぁばの自己分析②

二歳の孫・J君との接し方と、二歳だった娘や息子を育てたときとは、違うところがある。
それは、モンテッソーリ教育と出会う前と後による違いだ。

娘の本(→欄外参照)にも書いたが、下の子は、日本と韓国で、モンテッソーリの「こどものいえ」に通った。娘に関しては、スイスで、せっかくモンテッソーリの幼稚園が近くにあったのに入れなかったことを、後々まで悔いている。
息子の時は、教育熱心だったというより、一番近い幼稚園だったし、親戚の子どもたちが卒園生だったという理由で選んだと思う。

地元の「こどものいえ」には、二歳半児のための土曜教室があり、それが息子と私のモンテッソーリ教育との出会いとなった。
保育士の方々の幼児との接し方、そして、二歳代の幼児たちのための教材と、取り組ませ方に非常に感銘を受けた。
大人はすぐに「能力を伸ばす」とか「知育」に目がいってしまうが、モンテッソーリ教育が目ざしているものは違った。

私には、その教育理念を正しく語るほどの知識はないので、ここではこれ以上書けない。
むしろ、3人の子どもを通わせた叔母のセリフの方が、日本の一般的な幼稚園との違いをよく物語っている。
「三番目の子は、(ほかの園児がモンテッソーリの教材で‘’おしごと”をしているあいだも)ずっと園庭で穴を掘り続けていたのよね~。穴堀りに高いお月謝を払っていたようなものよ」(多少の誇張があると思うが…。)

娘がスイスの時にこの教育を受けていたら、親の心構えも変わり、もう少し上手に娘と向き合えたかもしれない。
息子の場合、二歳半で出会えてよかったと思っている。
そして、孫は二歳0ヶ月。ばぁばという立場になったゆとりも手伝っているが、無意識のうちに「こどものいえ」で学んだ子どもとの接し方を模していたような気がする。

ーー理屈っぽいことを書いてしまった。
つい、娘の子育ての「失敗」の理由を探そうとしてしまっているのかもしれない。反省とともに…。

J君の子守りに関しては、別にばぁばが偉かったわけでも何でもない。
ストレスなくたのしい時間を過ごせたのは、なんといっても、J君の穏やかな性格によるところ、そして、そのように育ててくれているお嫁さんの努力によるところが一番大きいと思っている。

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[夏に: 近くの公園で。
「カマキリの赤ちゃん、み~つけた!」]