長男を殺害した元・農水次官の熊澤被告に実刑6年の判決が出た。
一般の人よりも、障害者とその親とに接する機会が多いだけに、この裁判の行方を真剣に追っていた。
その中で、先週の求刑の報道の際に明らかにされた長女の自殺の事実には、胸が締め付けられる思いがした。
発達障害がある長男の存在のために、縁談を断られ、娘さんは「絶望して自殺」したという。こんなに悲しい負の連鎖があるだろうか?
それも東京のど真ん中の霞ヶ関関係者の中で起きてしまった悲劇。
「学習障害の周辺の子」の親として、さまざまな思いが頭のなかをめぐっている。
せっかく発達障害に対する世間の理解が広まり始めていたのに、今回の事件によって、再び差別と偏見を持たれてしまうのではないかと危惧している。
そして、何よりも…
長男の成長過程で、もっと早くに、そしてもっと積極的に、外部に相談できなかったのだろうか?
誰かが、専門家に相談するようアドバイスできなかったのだろうか? …残念でならない。
さらに、私自身の息子が発した言葉に、いろいろ考えさせられている。
息子は障害者の姉をもつわけだが、先日会った際、
「妹が絶望して自殺したというニュースを聞いて、涙が出そうになった」
と言ったのだ。普段そのような感情を表すことがないひとだけに、ハッとさせられた。
障害者を兄弟姉妹にもつ者の悩みは、親とまた違った次元でとても深い。彼らは、例えまだ若くても、悩みと不安を抱えている。
「親なきあと、自分が一生、面倒を見ていかなければならないのだろうか?」と。
息子は、自分の日頃の思いと重ね合わせながらニュースを聞き、大きな衝撃を受けたのだと思う。
娘は暴力とは無縁の性格だが、身内は、それだからといって安泰なわけではない。
こうして私もまた、息子の言葉に、さらに複雑な思いを深めている。
本当に本当に悲劇的な事件である。