60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

おせち料理と夫の母

料理をお教えしている立場の人間でありながら、恥ずかしながら、今では、おせち料理を最低限しか作らない。
お餅とおせち料理を三ヶ日の間、喜んで食べ続けてくれた夫が亡くなるのと息子が家を出るのが重なり、一気に縮小してしまった。今では、実母と娘が好きな数品だけをつくる。

かつては、独り暮らしの夫の母が年末年始に泊まりに来ていたので、おせち料理のほか、さまざまな「ご馳走」を準備して迎えた。またある時は、義母から受け継いだお重箱に詰めて義母の家に持参し、弟家族と集まって正月を祝った。

遡ると、高校生のころ、実母が年末年始に入院手術することになり、母のレシピや「きょうの料理」のテキストを見ながら、見よう見まねで作ったのが私のおせち作りの始まりだ。

結婚当初にお雑煮について夫の母に尋ねると、極めてシンプルなものだった。それ以来、元日は婚家流、二日はもう少し具材が多い実家流(といっても関東の田舎風)、そして、義母が長めに逗留し夫が仕事初めで出勤すると、自己流の白味噌仕立てのお雑煮を作り、義母と二人の昼食にした。関西育ちの義母は喜んでくれた。

義母は、私が嫁に入った当初から、自分はお料理が好きでないといい、姑の風を吹かせることなく、全て私の成すことを黙認し、食べてくれる優しい人だった。家事についても、不満がたくさんあったはずなのに、同様だった。
まだまだ嫁姑の確執が健在な時代だったにもかかわらず、義母の賢さと優しさのお陰で、私はその苦労を知らずに過ごせた幸せな嫁だ。

その母は今では93歳。サービス付き高齢者住宅で自立して暮らしている。
今年もまた、明日、娘と二人で訪ねていく。
昨日が隣の実母の訪問看護師来訪日と重なり、また、娘の出勤日の都合もあって、例年よりも遅れてしまった。
息子の死を悲しみ続ける母だけに、二歳になったひ孫の最近の様子などを報告し、笑顔を誘えたらと願っている。

毎年つきあってくれる娘の優しさにも感謝している。