60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

悩み: 母と娘のはざまで

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老人と障害者。
その間に挟まれるとなかなか苦しい。

老人でなくても、子育てを含めて家庭生活で苦労せずに人生を歩んでこられた人には、グレーゾーンの障害者を理解するのが難しいようだ。
更に、血縁の孫となると、たとえ、まともな人間であっても、生理的に受け入れたくない気持ちが強くなる場合があるようだ。
私の母がまさにそうだ。

今日から公立校の三学期が始まり、名実ともに正月休みが終わった。
学齢期の子供のいない我が家では、母の宅配弁当が休みとなる12/28から1/5の日曜日までが正月休み、そのなかでも娘が帰ってきていた12/30~1/3がお正月だった。娘が連続して泊まりに帰ってくる、年に一度の時期だ。

しかし、今年の正月はいつもより気分が重いものとなってしまった。
元日早々、母と娘と三人で、お屠蘇とおせち料理で新年を祝う最中から、母の娘への言葉のアタックが始まったからだ。

年末の食事や年越しそばは、娘と一緒に母のところに運んだので、三人揃うのは、ほぼ初めて。
娘の到着日に、煮上がったばかりの小豆で作ったぜんざいで三人で簡単にお茶をした。思い返せば、この時からすでに雲行きは怪しかった。

娘が6歳の時に家族で海外から帰国して以来ずっと、母と娘との相性は悪い。二人が同じ食卓につくと、箸の上げ下ろしから何から何まで、ダメ出しがでる。
娘に障害があるとわかった後も、その細かいダメ出しと注意は続いた。
間に立たされる私はいつもピリピリし、気づけば、私まで、先回りして娘に注意したり叱ってしまうことがしばしばあった。

今年の元日は、例年にも増しての「攻撃」だった。
耳が以前よりも遠くなったので、娘の下手なしゃべりは母の耳に届きにくく、母の苛立ちの理由がまたひとつ増えてしまった。

母はこの一年で、外出する機会がほとんどなくなり、さまざまなもどかしさとうっぷんがたまっているのだろう。
そうしたところに、自分よりも「弱者」といえる娘が現れ、うっぷん晴らしの標的にしてしまった気がする。
老化による弊害といえるのかもしれない。

その母の顔色を伺い、娘を守るのではなく一緒に叱ってしまった私。全てが負のスパイラルとなってしまった。
本を書こうがなにしようが、全然修行が足りていないダメな母親だ。元日の夜は深く後悔した。後味が実に悪い。

とはいえ、娘が席をたったあと、さすがに母の言い過ぎを咎めたのも事実。
「必要と思う注意は私がするから、もうこれからは、何も言わないでほしい」と伝えた。
わかったと応える母ではあったが、次もまた繰り返されるだろう…。

それにしても、「お祖母ちゃんにガミガミ言われる」とわかっていても、何十年も懲りもせず、訪ねてきてくれ、旅行すればお土産を母にも買ってきてくれ、ちゃんと声をかけつづける娘の真からの優しさは、感嘆と讚賞に値する。

翌朝、私は娘に謝った。
そして、母を咎めたことも話した。
すると娘は、
「気にしてないよ。
お祖母ちゃんはいつもあんな調子だから、
慣れているよ」
「お店には、もっと激しい老人も来るし、
老人なんてあんなものと慣れてるよ」
そして最後に、
「私のこと、かばってくれてありがとう。
うれしいよ」と。

いやはや、恐れ入りました。 m(_ _)m
母よりも、私よりも一枚も二枚も上手かも、と思った。まさに、

「いやな出来事はすっぱりと忘れ、
前だけを見てすすむ娘」だ。

(拙著、210頁。→欄外「My Bookstore」参照)