60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

ルーツ: 高知県物部村

思いがけない「再会」があった。
懐かしい高知県物部村と。

明日の教室のための柚子のババロアを作るため、一昨日、行きつけの駅前の八百屋で買った柚子を冷蔵庫から取り出した。
袋に書かれた文字に、目が釘付けとなった。👀‼️

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東京育ちなので、私には故郷がない。
父も高知県ではなく大阪生まれなのだが、7代ほど遡った先祖は物部村出身だという。
その話を生前の父がしてくれ、自分自身は一度いったことがあるが、家族全員で、先祖のふるさとを訪ねたいと言っていた。
その「ルーツをたどる旅」が実現したのは、父が77歳で亡くなる9ヶ月前だった。
余命宣告されていた父との最後の旅となった。

大阪の本家のお墓にお参りした後、飛行機で高知市へ飛び、父、母、兄との四人でタクシーで物部村役場に向かった。
父は、事前に、村役場に丁寧な手紙を書いていたので、有り難いことに、役場の方たちが出迎えてくださった。
かつての村が、ダム建設のために水没してしまった歴史などを、古い絵図を見ながら伺った。その後、裏山を登り、竹やぶの中を進んで、先祖のお墓まで案内してくださった。
お墓は、素朴な丸い石がひとつ。
しかし、紛れもなく、実家の名前が刻まれていた。
お榊を備え、父は先祖のお墓に手を合わせ、深々と頭を下げた。

実家の苗字は、物部村の地形に由来すると、父から聞いていたが、役場の方も同じ事を言われた。
そしてその地形がわかる場所にも案内してくださった。途中で通ったトンネルの名は、なんと実家の苗字と同じだった!

ここが、私のご先祖様の故郷、発祥の地なのだと思うと、心の奥底に小さな種火が灯されたような、静かな感動を覚えた。

帰りに、私たちは柚子畑に案内され、まだ若くて青い瑞々しい柚子をたくさんお土産にいただいた。

物部村訪問から、20年の歳月が流れた。
そして今日、再び出会うことができたのだ。
大きく艶やかな黄色に育った物部村の柚子に。
細々と灯り続けていた種火が、一瞬、黄金に輝く炎となった。
ご先祖様と父に会えたような嬉しさがこみ上げてきた。