[前ブログより続き]
道草ののち、ようやく神社に到着した孫とバァバ。
滞在時間は、思いがけず一時間近くになった。参拝の待ち時間は5分程度だったにも関わらずだ。
孫が関心を示したのは、
お清めの柄杓、
狛犬、
猿回しの大道芸(偶然、境内でやっていた)、
そして、炎。
境内一面を覆う小石は、多すぎたのか、拾わなくなった、笑。
狛犬は、私が左右の阿吽の口許の違いを見せたからか、牙をむいている方を気に入ってしばらく眺めていた。
[欄干に手をかけて狛犬を見上げている孫が写っているのですが、ここでは勝手ながらトリミング]
しかし、一番長く眺めていたのは炎。
境内の隅の方で、昨年の破魔矢やお札などを社務所の人が焚き上げていたのだ。
二メートル四方ほどの穴を掘ったところにくべられた焚き上げの品々から大きな炎が上がっていた。
孫は不思議そうに近づいて行ったので、少し離れたところで立ち止まらせ、後からしっかりと抱きしめて眺めた。
風がない日だったので、炎はパチパチと音をたて、躍るように立ちのぼっていた。
孫は、その姿をずっと眺めている。
火というものを見るのが初めてだったのだろう。
確かに、今日の東京では、たき火をしなくなったし、欧米社会と違って暖炉の火を見る機会もない。
火が少し小さくなると、見張り番の社務所の人は、次に燃やす品々を取りに行き、再び火にくべる。
その一部始終を孫は遠くから目で追っていた。
かなり離れているが、火の温もりが冷たい空気のなかを伝って私たちまで届いていた。
私は、炎について、「暖かい・きれい」とも言ったが、「あっちっち」「あぶない」という言葉を繰り返した。
好奇心とか興味がわくという年齢にはまだ小さい孫(2才2ヶ月)。
どのように孫の記憶に刻まれたのかわからない。しかし、もう少し大きくなって、アニメ動画などの中で初めて出会うよりも、よかったのではないかと思う。
特に、木が燃えるあの素朴なパチパチという音は、太古の昔の祖先から受け継いでいるDNAを呼び覚ます音だったのではないだろうか。