60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

19人のいのち

津久井やまゆり園で起きた殺傷事件の裁判のニュースが連日報道されている。

社会全体に大きな衝撃を与えた犯罪史に残る事件だ。

異例の措置として、殺害された19人の入所者たちの名前が匿名にされ、代わりに「甲A」といった無機質の名前で呼ばれている。個人的に、非常に強い違和感を覚える。

一人の被害者の親御さんだけ、名前を公表したことがニュースになっている。ニュースになること自体、なにかおかしい。

「家族の意向により匿名」と報道されている。

名前を明らかにすると、親族に迷惑がかかるためだろうと想像する。それは、障害者がいる家族に対する社会の偏見と差別が根強くあるからといえる。

残された家族が、殺された我が子や兄弟という一人の人間を、法廷で「甲A」と呼ばれたいと、本心から思うわけがない。呼ばれたときの心境を思うといたたまれなくなる。

もし、このような事件が欧米社会で起きていたとしたら、遺族たちの言動はどのようなものになっていただろうか? ほかのアジアの国だったら?

匿名希望というのは、日本の文化と日本人の精神性に根差した、日本人特有の反応なのだろうか?

娘に障害があることがわかった時から、夫と私はその事実を隠さず、自然体でオープンにしている。しかし、娘と同じような障害を持つ子どもの親御さんの中には、隠そうとする人、障害者としての認定を受けることを拒む親もいた。やはり周りの目と親族の反応を気にするからだろう。

オリンピックの年を迎えた今、毎日のようにパラリンピックの選手たちの活躍ぶりがメディアを賑わし、私たちの耳にも選手たちの名前が刻まれ始めている。

障害によって、これほどまでも処遇が違うのだ。人々の反応が違うのだ。

このままでいいのだろうか?

どうすればいいのだろうか?

オリンピックの年だからこそ、みなで考えてみることはできないだろうか?