新年から如月にかけての冬の夕日が好きだ。
澄んだ空気のなか、木の葉が落ちた枝を透かして見る沈みゆく太陽が美しい。
冬至からしばらく経ち、日ごとに明るさを取り戻していく太陽には、この季節だけの特別な輝きがある。
買い物帰りの近所の十字路に立つと、少し先の公園の大木の枝々のシルエットが、茜色を背景に影絵のように浮かびあがる。
記憶では、子どもの頃、同じ場所からはるか遠くの富士山のシルエットが見えたように思う。
木々はまだ若くて低く、枝もいまほど繁っていなかったので、鮮明に浮かび上がっていたと思うのだ。
先日、澄み渡った夕方、陽が沈む瞬間に運良く通りかかった時、思わず足を止めた。
富士山の輪郭を探す。かすかに見えた、と思った。
春霞の言葉どおり、カスミがかかる季節を迎えると、冬の落日のスペクタクルは幕を閉じる。
このところの暖かさで、閉幕は例年よりも早いだろう。
名残惜しい。
ところ変わってパリに住んでいた8年前、この同じ季節に、パリのシンボルたちの彼方に夕日が沈んでいくのをじっと眺めているのが好きだった。
古い大木の枝ではなく、歴史あるグラン・パレのガラスの屋根を透かして沈む太陽。
エッフェル塔と共に、鉄骨の美しいフォルムが浮かび上がるさまは、自然の造形美の結晶である富士山とまた違った優美さをたたえていた。