60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

『とうだいのひまわり』

季節外れの話題になるが、娘が5歳の時、ヒマワリを種から育てたことがある。

家族の歴史をコンパクトなフォトアルバムにまとめあげる作業を続行中だが、幼かった娘が、自分の背丈の倍近くあるヒマワリの花と並んで立つ写真が出てきて、久しぶりに懐かしく見入った。

しかし、写真を見るまでもなく、娘の心にも、私の心にも深く刻まれている大切なひと夏の思い出だ。(娘の子育て記にも書いたほどだ(p.21)。→欄外のBookstore参照)

はじまりは福音館の「こどものとも」誌の傑作選の一冊『とうだいのひまわり』という絵本だ。

灯台に住んでいる女の子ひろみちゃんは、袋のついた風船が落ちているのを見つけました。袋には、ひまわりの種と「大事に育ててください」という手紙が入っていました。ひろみちゃんは種を蒔き、水をやり、嵐の日にはずぶぬれになって垣根に茎を結びつけ、大切に育てました。やっと大きな花が咲いて、とれた種を、こんどは風船につけて飛ばしました。」(福音館HPより引用)

1歳の娘を連れて家族で海外勤務へ出るとき、段ボールいっぱいの絵本を買い求めて携行した。私自身が子供の頃に愛読した岩波書店や福音館の絵本が中心だったので、いわゆるクラシックだ。その中に、私の子供時代にはなかったこの絵本も、なぜか惹かれて買ってあった。4歳でタイからスイスへ転勤していた娘は、「年中向き」と記されたこの絵本が大好きになった。なんど親子で一緒に読んだことだろう。

そして、ジュネーブ生活2年目の春、「庭にひまわりを植えてみようか」ということになった。タネー村という、郊外の人口600人ほどの小さな村の借家に住んでいた。大家さんは、この村の農家。私たちが借りた家のすぐ横は大家さんのリンゴ畑。リンゴ畑のフェンス脇に、大家さんの許可を得て小さな花壇をすでに作っていたので、絵本のページをなぞるように、種を植え、水をやり、育てた。

東京育ちの私も、ヒマワリは育てたことがなかったので、芽が出て、茎がぐんぐん伸びていくようすにワクワクしたのを思い出す。

スイスの夏は、陽射しは強いが湿度が低くてカラリと暑い。夏も終わりに近づいたころ、娘のひまわりは元気いっぱいに花を咲かせてくれた。

「咲いた、咲いた!」と娘と大喜びし、記念写真となった。

絵本に従えば、次は種を収穫し、小さな封筒に入れ、風船で飛ばすことになる。娘の「夢」を叶えるにはどうしたものかと逡巡した。

そもそも80年代当時から、環境保護の意識がすでに高かったスイスで、家庭用に少量のヘリウムを購入できるかわからなかった。

しかし、この杞憂はあえなく消滅した。私が体調を崩し、ヒマワリの種以前に何もできなくなってしまったからだ。せめて大きく実った種をちゃんと収穫できればよかったのに、娘には気の毒なことをした。

とはいえ、その後、娘と歩んできた30年以上の人生の中で、「タネー村のひまわり」は、『とうだいのひまわり』のストーリーとともに、何度も私たちの話題に登場した。

ひまわりのダイナミックな存在感と生命力はすばらしい。

そしてなによりも、世代をこえて読み継がれる、いわゆる良書とよばれる絵本には、子どものみならず、大人の心にも、感動や癒し、一生忘れることがない思い出をもたらす魔法の力がある。


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