60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

パリのノートルダム大聖堂の火災をふりかえる

パリのノートルダム大聖堂の大火災から1年と1週間が経った。

パリに住む機会を得た人はみな同じ思いだと思うが、炎に包まれたノートルダム、尖塔が焼け落ちる映像はあまりにも衝撃が大きく、一年経った今も心の傷は癒えない。

アメリカの同時多発テロのときは、首都ワシントンに住んでいたこともあり、ニューヨークの貿易センタービルが崩れ落ちる映像と重なる。どちらも他人事とは思えない。

そしていずれもが、自国を象徴するものとして国民が最も誇り、人々の愛国心のシンボルとなっていた建造物だった。

ところが、9・11以降に、日本では、2013年には東日本大地震による未曽有の大災害が起こり、更に不幸なことに昨年のノートルダムの大火災後に、沖縄の人々の心のよりどころとなっていた首里城が全焼してしまった。

人々の喪失感は想像をはるかに超えるもの、現場で経験していない第三者が書くことさえ憚られるものと思う。

昨晩、1週間遅れではあったが、ノートルダムの大火災から1周年を迎えた今の様子をネットで検索した。現在の新型コロナウィルスによる非常事態でなければ、きっと損失を追悼するイベントが執り行われていたことだろう。それが叶わない現在、フランスの人々はどのようにこの日を迎え、心の整理をつけているだろうか?と案じながら。

まず目に留まったのは、franceinfoのサイトに掲載されていたルボだった。

「あの夜」の出来事を、その場やその近くに居合わせた様々な立場の人間の証言を取材した内容を、1年経った今、証言者たちの許可を得て時系列で掲載したものだった。引き込まれるように読んでしまった。近くのアパートに住む老婦人の証言から、消火活動の陣頭指揮をとった消防団長、文化財保護担当者による聖遺物の救出劇、聖職者たちの証言などなど、現実はフィクションを凌ぐ厳しさと衝撃の連続だったことが読み取れた。

https://www.francetvinfo.fr/culture/patrimoine/incendie-de-notre-dame-de-paris/temoignages-pompiers-dans-1h30-on-saura-si-ca-passe-ou-ca-casse-recit-feu-cathedrale-raconte-par-ceux-qui-l-ont-vecu.html(自動翻訳機能によって日本語訳が読めるはず)

1周年を迎えた2020年4月15日の夜8時には、残った塔の鐘が、火災後初めて鳴らされたという。

その鐘は、火災前には毎日定時に、電動で鳴らされていたという。しかし、この日は、中世以来のしきたりにのっとって人の手によって鳴らされたそうだ。私の耳の奥からもパリに響き渡っていたノートルダムの鐘の音がよみがえってきて感慨深かった。

夜の8時は、いま現在、医療従事者への感謝の気持ちの表明として、パリ市民たちが毎晩、家々の窓辺で拍手を送る時間だそうだ。ノートルダム寺院から響き渡ったこの日の鐘の音は、フランスの人々にとって、ウィルスとの戦いの克服と、国の象徴の復興への願いとして深く長く響いたことだろう。

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[家族が訪問した時に一観光客として塔に登った際になにげなく撮った写真だが、まさか焼け落ちてしまうとは! そしてまた、堅牢な石造建築物といえども、内部はやはり木造の部分が多いのだ。]