6月、7月の料理教室のもう一つの名脇役はバティックだった。この春、母からもらったものだ。
かつてインドネシアに父とともに駐在した母は、もともと大の布好きだったので、バティックの魅力の虜になった。
島や地方によって染め文様の特色が違い、奥が深いらしい。かつての人々が日常で使った布を一枚また一枚と入手しているうちに、小さなコレクションができていた。母にとっての「宝もの」だ。残念ながら、私には母のような布に対する情熱がない。
コロナ以前から「大切なバティックを今後どうしたいか考えておいてね」と頼んであった。身内には、母のようなバティックloveの人はいないからだ。
コロナ自粛中に母の家の片付けをしていたある日、母は「決めたわ」と言った。父と母が長年懇意にしてきた美術家と連絡をとり、その方が喜んで寄贈を受けてくださることになったそうだ。他の美術品と共にバティックのコレクションもお持ちの方だ。分散せずにすむ「嫁ぎ先」が見つかって本当によかった。
母の決断を聞いた後、私は「料理教室の際に使いたいから、普段用の布の中から2枚ほどもらえるかしら?」と母に頼んだ。それが、6月のテーブルを飾った布だ。教室が終わった晩、テーブル花がまだきれいなうちにと思って、母を呼んで食事をした。細長く折り畳んだ布でアレンジした食卓を母はいたく気に入ってくれた。
母がバティックをインテリアとして使ったり、広げて眺めている姿をほとんど見たことがない。しかし、布たちのデータは頭の引き出しにしっかり入っているらしい。今回、美術家に送り出すためにまとめた際、布の作られた地域や技法や柄の名称など、母の口から次々と出てきて熱く語っていた。
その数日後、母からシワのついた小さめの布を渡された。「風呂敷としてさんざん使ったものだけど、よかったら洗って使ってね。この間のものより出来が悪いけど」と。そう、母のバティックと言えば、身の回りのものを包む風呂敷として登場していたことを思い出した。
ふだん用の風呂敷として見ていた布は、7月のセンターを飾った。初めて全体を眺め、趣向をこらした柄ゆきに驚かされた。そして今月もまた、皆さんが帰られた後の食器を全部片付けてから、母に来てもらい、鳳凰や麒麟らしきエキゾチックな動物たちに囲まれて、土用丑の日メニューの食事となり、喜んでもらえた。
母の生活感が詰まった布が手元に残ってよかったと思っている。