昨日の読売朝刊一面のコラム「編集手帳」は、脚本家の故・早坂暁氏の随筆集『この世の景色』からの引用で、「(人間の)底悲しさ」という表現を取り上げている。早坂氏は広島の原爆で妹を亡くしているという。同氏はこの言葉の意味を「不当に運命づけられた悲しさ」であると述べているという。
40年前に義母に初めて会ったときから、どこか憂いをまとった人だという印象を受けていた。昨日「底悲しさ」という言葉(造語?)に出会って腑に落ちた思いだった。几帳面で完璧主義、そして内向的な性格によるところもあるが、義母は、私が結婚した翌年から今日まで、症状の程度はその時々で異なったが、ずっと鬱を患っている。
夫も「(母親は)もっとも青春を謳歌したい女学校時代に戦争で我慢を強いられ、(19歳で)被爆した、一番気の毒な世代なんだ」と言っていたことを思い出す。
まさに、不当に運命づけられた悲しさを背負って生きてきた人なのだ。その上、人生の終盤戦では、病で長男(私の夫)まで亡くす運命に見舞われ、「底」がさらに深まってしまったのだから、なんと不条理なことだろう。