60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

広島の被爆少女とピアノ

f:id:bistrotkenwood:20200814003033j:plain1週間ほど前の朝のNHKニュースで、広島で被爆し翌日に亡くなった19歳の少女、河本明子さんのピアノについて取り上げていた。2000年以降に、廃屋とともに処分されそうになっていたピアノが、幾多の偶然の出会いと善意のおかげで修復されて蘇り、多くの人が触れて弾くまでになったという。
このニュースに私が特別な関心を寄せたのは、明子さんの年齢と、広島女学院生であったからだ。すぐに名前を書きとめ、ネット検索。そして、書き込み式の自分史の本に、義母が記した記録と照らし合わせた。義母も同校に在籍し、昭和20年は19歳と書いてあった!
すぐには電話をせず、まずはネットに掲載されていた「明子のピアノ」という冊子を注文した。今日ようやく届き、気づいたら最後まで読んでしまっていた。
ご両親と明子さんの人生にも感銘を受けたが、その後のピアノの変遷にはさらに感動した。世界的なピアニスト・アルゲリッチをも惹きつけた特別なピアノになっている。
夕食後に義母に電話をした。「河本明子さん、知ってる? 彼女とピアノの話、聞いたことある?」
答えはNOだった。無理もない、ピアノが「発掘」されたのは2002年のこと。更に世間に知られるようになったのは、それから10年以上経ってからだからだ。
また、明子さんは1学年上だったこともわかった。(10月生まれの義母は、終戦の時、18歳だった)
当初は、冊子を読みおわったら、すぐに母に送るつもりだったが、私自身が友人たちとシェアしたくなり、義母には新たに一冊注文した。
女学校のこと、広島市内のことなども書かれていて、私とは全く違う視点で、母には感慨深い内容と思う。驚いたのは、「学校のピアノの先生は日本人だったけれど、バイオリンの先生はパルチコフというロシア人だった」と母が、本の内容と違わぬ名前を挙げたことだ。本の中の人物たちが、急に生き生きと動き出したように感じた。
それにしても、生と死の明暗を分けたのは、ただ一つ、運だったのだ。

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ところで、終戦記念日の15日に、明子さんの生涯を描いたドキュメンタリードラマをNHKで放送することを数日前に知った。義母の被爆体験をブログに書いた同じ年に、広島女学院つながりの「あの日」のことが様々な形でメディアで取り上げられ、驚き続けている。