60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

ひまわり畑

 

夏の花・ひまわりとその蜂蜜に特別な思いを寄せるようになったのは、35年前にさかのぼる。スイスのジュネーブに住んでいた時の夏、レンタカーでフランスのロワール川に沿って走った時、生まれて初めて一面に広がるひまわり畑をみて感動した。一本一本にボリュームと存在感があるひまわりが群生し、”全員”同じ方向――太陽が射す方――を向いている姿は、例えば一面に広がるラベンダー畑とは違ったインパクトがある。「向日葵」の漢字の由来を実感した。

同じ夏に、友人からひまわりの蜂蜜をもらった。やはりフランスを旅行中に、ひまわり畑の脇の直売所で買ったものだという。簡易なプラスチック容器に入っていたが、花粉がたっぷり入ったひまわり色で、素晴らしく香り高かった。

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それから30年近く経った2013年に、再びひまわり畑に巡りあった。今度は、フランス南西部を流れる四大河川(※)の一つ、ガロンヌ川で。その上流のドルドーニュ川流域に、広いひまわり畑が点在していた。整列しているように咲くひまわりたち、縁取りの如く植えられたこの地方名産の胡桃の木、後方には百年戦争時代の古城。

 それは、フランスからの帰国直前の7月の中旬のこと。フランスでの、そして夫と二人の最後の旅。ボルドーを起点に、レンタカーでドルドーニュ川に沿って名所を巡る旅だった。突然の帰国が決まる前に立てた計画を、夫は敢行しようと言った。その決断に、今でも夫に感謝している。一年後の7月にはこの世にいなかったのだから。

世界史の教科書に出てくる百年戦争は、フランスと英国の領土争いの戦いだ。ドルドーニュ川は、敵味方を分ける自然の境界線になっているところが多かった。切り立つ崖が自然の要塞となり、川を挟んでフランスと英国の古城がにらみ合うように建つ。時代が下り、ロワール川に沿って造られた華麗な城たちとは対極的だ。ロワールにおける、国王の権力の象徴としての城に対し、こちらは軍事目的の堅牢な城。

芭蕉が平泉で詠んだ「つわものどもの夢のあと」は、栄華を極めた藤原三代の館が跡形もなくなり、夏草が生い茂っていた情景だというが、西方の国では、石造りゆえに城は廃墟として残り、その眼下には、夏草ならぬひまわりが川に沿って広がっていたのだ。

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[ドルドーニュ川は、ひまわりと城の間を流れている]

 ※フランスの四大河川:ロワール川、セーヌ川、ローヌ川、ガローヌ川