60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

手を合わせる

昨日、神道などとたいそうなことを書いてしまったが、日本人の宗教について論じられるような深い知識は残念ながらない。ただ、海外で暮らしていると「あなたの宗教は?」と聞かれることがたびたびあるので考えさせられる。「信仰する宗教はない」と答え、もう少し丁寧に答える必要がある時は「しかし、強いて言えば、八百万の神の存在を信じる神道が自分にはしっくりくるような気がする」と曖昧さを含みつつ答えたものだ。

西洋社会に暮らし、各地で観光名所として教会を訪れるたびに感じるのは、そこに暮らす人々の生活と教会とが密着していることだ。人々は教会に立ち寄り、小さいろうそくを灯し、静かに祈りを捧げている。観光客目線で教会を眺めている自分、信仰する宗教がない自分を後ろめたく感じた。

しかし、昨日のブログで書いたように、自分も地元の多くの人々と同じように、日々お社の前で足を止め、手を合わせている。これも一つの信仰の在り方、これでもいいのかなと思いはじめている。また、自転車を公園の外に止めてわざわざ立ち寄り、帽子をはずしてじっと手を合わせ、祈っている若者の姿を見ると、どこかほっと安心する。

日本は、神仏習合といわれるように、神道と仏教の境界線がはっきりしない時代が長く続いてきた国だ。特定の宗派を信仰する信心深い人は多いと思う一方、「神さま、仏さま」と唱えながら祈る民衆も多かったに違いない。私は後者の末裔といえるのかもしれない。

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