60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

ベーグルの思い出

一昨日のブログでベーグルについて触れたが、ベーグルを食べるたびに甦ってくる思い出がある。

今からちょうど20年前の平成12年12月12日、私たち家族四人は、寒波襲来中の首都ワシントンに到着した。市内にある古びた長期滞在型ホテルに入った。ホテルと言うよりも、ウィークリーアパートに近く、地味で活気はなく、1Fホールも静まり返っていた。アメリカに到着したという高揚感などとは程遠い、life in Americaの始まりとなった。
到着した翌朝は、地上階にある無料のセルフサービスの朝食コーナーのお世話になった。コーンフレーク、リンゴ、バナナとならんで置かれていたのはベーグルと貧相な食パン。家族揃って、ベーグルを見るのは初めてだった。そして、奇妙な横長のパン焼き機。
朝食をとっている人はまばらだったが、運良く現れた人を観察すると、フォークでベーグルの周囲に穴を開けた後、指で二つに開いていた。なるほど。その人は次に、パン焼き機のゆっくり動く網の上に二つに割ったベーグルをのせた。ベーグルは、内部が電熱線で熱くなっている「トンネル」の中へと吸い込まれていった。しばらくすると反対側の「トンネルの出口」から現れ、ポトンポトンとかごに落ちた。こんがりと焼けている。ガッテン !
私たちも真似してベーグルを焼いてみた。食パンと同じようにバターとジャムをつけて食べてみた。まずくはないが、美味しいとは思えなかった。大衆ブランドのベーグルだった上、クリームチーズとの相性がよいことを知らなかったのだ。それでも数日間、朝食コーナーに通い、ベーグルを食べた。

到着した数日後に、凍てつくなか、ようやく子どもたちと徒歩で片道15分以上歩いて最寄りのスーパーに食料品の買い出しに出掛けた。そののちに住む住宅地にある充実したスーパーと違い、小さい店舗。それでも、家族で食べられそうなものを見繕って買い、娘と手分けして両手一杯に持ち、小4の息子にも軽めの袋を持ってもらい、ゆっくりとした足取りでホテルへ戻った。牛乳などでずっしり重いスーパーの袋が、手袋をしていてもかじかむ指に食い込んだ。寒さに強く、力持ちの娘がいてくれて助かったと、感謝した瞬間でもあった。

この後、2年間ワシントンに住んだが、生活必需品をテクテク歩いて買い出したのはこの1ヶ月の仮住まいの間だけだった。また、こんなに厳しい寒波に見舞われたのもこの冬だけだった。
そして、アメリカ生活に慣れ、地元のパン屋を知るようになるにつれて、ベーグルは名誉挽回していった。今では、ワシントンを語るときにはずせない懐かしい思い出になっている。
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[スーパーの買い出しだけでは悲しすぎる。子どもたちと市内観光ツアーに参加した。
寒空の下のアーリントン墓地では、墓標一つ一つにフレッシュグリーンで作られたリースが据えられていた。心を打つ光景だった。アメリカにいることを実感した瞬間だったかもしれない。
しかし、私たちのツアー以外、観光客は皆無だった。]