60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

結婚する息子への父の思い

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「娘を嫁に出す父」は常套句になっているが、息子が結婚するサラリーマンの父の心境はあまり語られない。個人事業主の父であれば、後継者となる子の結婚は、大切な節目、そしてお披露目の場なのだろう。跡継ぎ以外の子の結婚であっても、一族と事業を紹介する席となるであろう。
土曜日の甥の結婚披露宴では、定石にしたがって最後に新郎の父である私の兄が挨拶をした。淡々とした、起承転結がよくまとまった挨拶だった。しかし、妹であると同時に、亡夫が兄と同じ職業だったこともあり、兄の言葉は深く心に響き、それ以来私の頭を離れない。

海外勤務が長い家族の長男として育った新郎のD君(34歳)は、日本での小学校と大学以外、幼稚園、中学、高校を海外の別々の国で過ごしたこと、そして、直近の6年は、親である兄たちがずっと海外だったため、接する機会がとても限られてしまったと兄は言及した。しかし身内として、それ以上の別離と双方の苦労があったことを知っている。そもそも、日本の大学に入学するために一人で帰国したD君は、今日に至るまでの12年の間で、両親が日本にいたのはわずか2年間。そのうちD君が家族と一緒に暮らせたのは1年にすぎなかった。大人といえる18歳すぎてからのことだから、親がいない方がせいせいする年頃なのだが、お盆や正月に会おうと思えばいけるところに親が「居る」ということと、(その距離に)「いない」のとでは大きな違いがあると思う。
海外勤務が宿命の職業であるから致し方ないといえばそれまでだし、D君に限らず、親の度重なる海外転勤に翻弄され、その”犠牲”になる子女たちの話は私も随分と聞いてきた。どの親たちも、ふつうに一緒に暮らす家族以上に、我が子に寄り添おうと腐心していることも知っている。家族思いの兄と兄嫁にとって、仕事と家族の狭間で様々なジレンマがあった12年、いや、それ以上の歳月だったのではないかと改めて思った。
一匹狼とか猪突猛進というタイプではなく、男らしくありながらも、とても優しいD君。そのD君が、期が熟して運命の女性と出会えた。これからはもう独りではなく、相思相愛の伴侶と共に人生を歩み、家庭を築いていくことになったのだ。叔母としても心からうれしい。
そして兄夫婦は、この披露宴の為に、帰国後2週間の隔離生活、゛釈放^されたのは挙式日を含めてわずか3日間、すぐに任国に戻って更に2週間の隔離。合計4週間も長期滞在ホテルの部屋に軟禁という、時間・仕事・金銭面で多大な犠牲を払ってまでも、挙式に出席する決意で帰国したのだ。(ちなみに、ホテル内のレストランやジムなど当然ながら一切使えない)
それは、息子の人生の最大の門出の日には、どんな犠牲を払ってでも立ち会おうという父、そして親としてのけじめであり、思いであり、愛だったのではないだろうか。不本意にも息子に苦労をさせてきた年月への償いの気持ちも忍ばせつつ。

ーー我が家の長男は24歳で結婚したが、前年に夫が他界したので、「結婚する息子の父」の姿を私は残念ながらみることができず、新郎の父としての夫の言葉を聞くこともできなかった。それだけに、身内の兄の「父としての思い」に想像を膨らませ、心を動かされているのかもしれない…