残暑がおさまった先週あたりから、ウォーキングが復活している。
金木犀の香りはマスクを通しても鼻に届き、目には、鮮やかな彼岸花が飛び込んでくる。金木犀は、姿は地味だが、このところ届くメールの季節の挨拶にたびたび登場している。しかし不吉な意味がつきまとう彼岸花は、その造形的な美しさと曼珠沙華という凝った別名にも関わらず、人々から避けられてきた。それなのに、いや、それだからこそ、北原白秋や小津安二郎から阿久悠まで、多くの歌や映画の題名になっていることを、先程wikipediaで知った。ダブルスタンダードというか、人間心理をくすぐる生態と容姿の花なのだ。
昨日、普段通らない池から分岐する細い道を歩いていたら雑草がはびこるフェンス沿いに彼岸花が群生していた。もし、予備知識がない欧米人が見たら「ワー、きれい!」と声をあげたのではないだろうか。しかし子供時代からお墓の、毒のある花として洗脳されてきた私は、写真を撮っている自分にも後ろめたさを感じてしまう。しきたりとは、かくも頭に刷り込まれるものと思う。
とはいえ、最近では、曼珠沙華の群生地が観光スポットになっているところもある。その美しさを客観的に愛でられる日本人が増えてきたということのようだ。ところが、ネット検索していてビックリした。東京近郊で有名な群生地、埼玉県の巾着田の彼岸花は、今秋、コロナのために、観光客がやってこないように、開花の前に全て刈り取られたそうだ。春のチューリップを始め、同じ理由で摘まれた観光地の花のニュースはたびたび聞いている。その度に、開花に向けて準備してきた関係者を思うと気の毒になる。だが、第五波の只中のいま、その苦渋の決断にうなずくしかない。
平常時でも、コロナ下でも、多くの人に疎まれる曼珠沙華は、考えてみれば、気の毒な花だ。