60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

コリン・パウエル元・米国務長官の死

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今朝のニュースで、ブッシュ政権時代に国務長官を務めたコリン・パウエル氏の死去を知り、静かなショックを覚えた。そして一日中その訃報が頭の片隅から離れない。朝刊でもそれなりに紙面を割いて訃報と同氏の評伝を載せていた。くまなく読み、切り抜き、大事な部分にはマーカーまで引いてしまった。

なにが自分をそこまで突き動かしたのだろう?と自問する。日本の著名人であってもそこまですることはないのに。

新聞記事を読みながら「もしかしたら夫が最も尊敬していた著名人はパウエル氏だったのではないか? そうでなかったとしても、少なくともトップ3に入るのではないか?」という思いを新たにしたからだ。

夫と共に家族で米国首都ワシントンに到着したのが、2000年12月12日。米大統領選挙で、票の数え直しなどを経た末、ブッシュ大統領の当選が確定した日だったと思う。夫は、日本大使館の政務担当のポストに就いた。ほどなくして、パウエル氏が国務長官に指名された。黒人として初めて米軍制服組トップの統合参謀本部議長になり、90年代の湾岸戦争で活躍し、すでに国民的英雄となっていた人だ。そしてブッシュ政権が発足して半年余りの2001年9月11日、同時多発テロが起こる。

国務長官になったパウエル氏について、仕事として遙か下の方から日米同盟の相手国のトップの長官を見上げる立場にいた夫は、パウエル氏の人間、軍人、政府要人としてのすばらしさについて語っていたのを思い出す。その尊敬の念にみちた言葉が、今朝の読売新聞9頁の評伝から蘇ってくるような気がしたのだ。

訃報に接し、ブッシュ大統領はパウエル氏を偉大な公僕とたたえ、その死を悼んだ。

「公僕」、久々に聞く言葉だ。もし夫がいま生きていたら、霞ヶ関の末端の一公僕の立場としてもまた、パウエル氏のまだまだ早すぎる死を悼み、「パウエル氏ほど偉大な公僕は他にいないだろう」と今日一日何度も繰り返し悲しんでいたような気がする。

新聞の評伝の最後に、2005年に同氏が日本に講演に訪れた際に学生たちに語った助言が引用されていた。

「若者は日々、間違ったことをしでかすが、くよくよする必要はない。人生は巻き戻せない。私は学生時代と軍生活で、人生への規律の重要さと失敗を恐れないことを学んだ。仲間とともに、常に目標達成に向けて努力することが大切だ」

もっともっと多くの言葉を次世代を担うわかものたちに発し続けてほしかった。

死因はコロナ合併症だという。なんとも残念なことだ。