60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

加藤恭子先生とグランマモーゼズ

グランマモーゼズ展に是非とも行きたいとおもったのには理由があった。
日本にグランマモーゼズを紹介し、『モーゼズおばあさんの四季ーー絵と自伝でたどるモーゼズおばあさんの世界』(BL出版、2003)を翻訳した加藤恭子先生は、私の大学時代の恩師だ。
f:id:bistrotkenwood:20220124225414j:plain
その上、2014-2018年に加藤先生の「ノンフィクションの書き方講座」を受講する機会を得て、先生とのご縁が卒業から40年近い歳月を経て再び深まった。この講座のなかで、先生はたびたびグランマモーゼズを話題にされた。特別展開催にあたり、受講生有志で一緒に観に行こうとLineで盛り上がっていたのだが、まさかのコロナ第六波となってしまった。

ところで、私は娘時代の60年代と70年代に二度にわたりアメリカ東海岸に住んだので、国民的画家の絵も名前も自然と知っていた。最初の出会いは多分クリスマスカードの絵だったと思う。欧米では、12月に入ると次々と届くクリスマスカードを飾る習慣がある。母たちもそのしきたりに倣って応接間のコーナーなどに飾っていた。年中行事の中でもクリスマスにちなんだ絵を多く描いたグランマモーゼズ。雪景色の村の中を、クリスマス準備で人々が楽しそうに行き交う絵は、まるで絵本の1ページを眺めているようで子供心を捉えた。そして、絵の隅に律儀な字で小さく書き込まれた「Moses」の署名。小学2年の習いたての英語でも読めた。1回目にアメリカに住んだのは、亡くなった1961年の数年後だったからか、「Moses」と記されたすてきな絵のクリスマスカードが毎年届いていたように思う。
70年代に再びアメリカに住んだ時もまた、クリスマスの季節になるとグランマモーゼズの絵に出会えた。敢えて大げさなたとえでいうと、北斎の富士や広重の東海道の風景などを日本人のわたしたちは繰り返し目にするように、グランマモーゼズの(特にクリスマスと雪景色の)絵は、アメリカ社会の中で不滅なのだろう。
更に、少なくとも70年代頃までは、少し田舎へドライブに出かけると、アメリカ人の心の故郷ともいうべき風景にまだ出会えたものだ。もちろん、馬車はなく、服装も時代相応に変化しているわけだが。
初めてグランマモーゼズの絵に出会ってから半世紀以上経ったのちに、あたかもバラバラだったパズルのコマがピタッとはまるように、本物の絵が一堂に会する空間に我が身を置けたことをとても幸せに思う。グランマモーゼズがたびたび言及している通り、(過去を振り返る)「memory(思い出、記憶)」が呼び覚まされ、つながった。
そして、先日のブログで記したように、絵との再会の喜びにとどまらず、すばらしい言葉の数々に出会えた感動ははかり知れない。私にとって未来へと導いてくれる「hope(希望)」だ。

最後に、加藤恭子先生が翻訳された冒頭の本の「訳者のあとがき」の一部を勝手ながら引用させていただきたく思う。

*********

15年のアメリカ生活中の7年を、私たち一家はマサチューセッツ州で過ごしました。モーゼズおばあさんの故郷の近く、つまり彼女が描く風景とは、その土地に生活し、子どもを育てながら日々を送っていた私たち自身の風景でもあった。[中略]
日本では無名だったモーゼズおばあさんが今日では広く知られ受け入れられていることを思うと、感無量です。[中略]
それというのも、彼女の作品からは日本人の心を打つ何かが伝わってくるからなのでしょう。淡々と誠実に生きた一人の老婦人の、自然と周囲の人々へ注ぐまなざしの温かさ。「わたしの生涯というのは、一生懸命働いた一日のようなものでした」と語る悟り。[以下、略]

*********

加藤先生は現在93歳。まだまだ原稿用紙に向かう意欲満々でご自宅でお元気に過ごされている。今回の特別展をさらに感慨深くご覧になられたことだろう。教え子の一人としてとてもうれしい。ぜひグランマモーゼズのように100歳を超えて活躍し続けていただけたらと願っている。