三月の料理教室が終了してから2週間近く経過した。いつもならば、料理教室関連の写真をアップするのだが、二月以来していない、いや、できないでいる。1ヶ月前はオミクロンの感染者数がピークに達していたし、深刻化するウクライナ情勢が心の底でブレーキをかけている。
このためらいとあわせて、2週間前に久々に写真整理協会主催の講座を受講し、(自由)課題を出されたことが、ブログをご無沙汰してしまった理由である。
4月下旬に開催される2回目の講座までに、少しまとまった数の手持ちの紙焼き写真を実際に整理してみる、という当たり前のような課題。しかし受講生は(私を含め)全員、写真整理アドバイザー。この当たり前のプロセスを行うことによって、改めてみえてくる課題や問題点をシェアして意見交換することになる。一回目の講座の時ですら、受講者の経験、立場、年齢などで写真整理に対する視点が違うことがわかり、非常に興味深く勉強になった。
一昨日、ようやく自分が設定した課題の2冊目が仕上がり、発注した。2冊目の方には、末尾に「あとがき」のような文章を入れたのでここに引用する。
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2020年春、コロナ蔓延に伴って料理教室を中止した期間に、家族の30年分の写真を[デジタルデータ化し]3冊のアルバムにまとめ上げた。続いて夏に、母の米寿祝い際して、父と母の人生の歩みも一冊になった。
私の人生はこれらでほぼ網羅されたのだが、屋根裏に一冊のボロボロのアルバムが捨てずに残されていた。12歳の私がまとめた生い立ちの写真記録。また昨秋、義母が[夫が幼かった]リオ時代の写真だけは残してあったことを知った。[婚家の人間として]データ保存し、できればアルバム化したいと思っていた約30枚。
今まで整理していなかった亡夫と私の子ども時代の写真を合体し、[同じデータで]ニつの別の形式のアルバムを作ってみることにした。片方では字数制限がある中で「言葉」による説明を添えるよう努めた。
1980年4月5日、満開の桜の中、桜の名所・千鳥ヶ淵に近いホテルで夫と私は結婚した。亡くなる直前には、偶然にも千鳥ヶ淵に仮住まいし、桜の花の悲しくも美しい短い命の一部始終を愛でることとなった。私の「お花見」はあの年で完結したように思う。2014年4月12日に夫がシャッターを切った新宿御苑の八重桜がさいごとなった。
2022年4月5日
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※注:アルバムの最後の3枚は、私たち夫婦の結婚写真、亡くなる直前の結婚記念日の写真、そして夫が撮った八重桜。
このようなわけで、不慣れなスキャナーその他、写真整理の”三種の神器”と、古いバージョンのOSのPCと格闘するとともに、婚家と実家の古い写真と向き合う濃厚な時間をすごしていた。既に1冊目は本日届き、別の形式の2冊目はちょうど結婚記念日の4/5頃に届く予定だ。4/8から始まる料理教室の前に一段落。ヤレヤレだ。
ーーこの続きは、二冊揃ってからまた書きたいと思う。