60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

バァバ、J君の家に泊まる

息子家族のところに第二子が間もなく誕生するのに備えて、前回は孫のJ君がバァバの家に泊まったが、今回はバァバがJ君のアパートで三日間過ごした。

普段は気ままな独り暮らしをしているバァバだけに、初日から平日だとハードルが高いので、日曜日からスタート。中間地点で会って、まずは合い鍵作り。そのあとはフリマ巡り、回転寿司、公園遊びとつづき、たちまち帰宅時間となった。max5時までに帰宅しないと夜のルーティンが時間内にこなせないと嫁のHさんがいう。

J君とバァバは玄関を入ると風呂場に直行。コロナの前からJ君は外遊びや保育園から戻ると直行だそうだ。前週に我が家でお風呂タイムは経験済みなので無事にクリア。入浴後は、HさんがAmazonのfirestickなるものを操作して子ども向けアニメをJ君と選んでON。J君にとって数少ない「テレビで子守り」の時間だ。その間にバァバは急いで夕食準備。途中でアニメが終わってしまい、別のをみたいとリクエスト。初めてみる形状のリモコンの操作に四苦八苦(ママは入浴中)💦 しかし何はともあれ6時半前には3人で食卓につくことができた。

食事の後は洗濯物干し。おなかが大きいママのためにJ君は桶運びを手伝ったり、小さな靴下を拾い上げてはママが干せるように渡したり。続いて寝る部屋の支度。布団敷きもだが、部屋の構造上、居間からの光も朝日も入らないようにする必要があるという。バァバは一生懸命メモを取る。最後は歯磨きなど就寝前のルーティン。8時に床に入り、8時半までに眠りにつくのが理想だそうだが少し過ぎてしまった。バァバも(ママがいる間は)襖一つ隔てた部屋で寝るので、音を立てないよう寝る支度をして早々に消灯。こんなに早く寝たのは久しぶり。

いよいよ週明けの保育園の朝。朝食メニューは(というほどでもないが)、大きく分けて4パターンあるとのこと。この朝は一番簡単なシリアル&フルーツ。でも牛乳は硝子ピッチャーでレンチンしてすこし温める。J君に冷たい物は基本的にNG。なるほど、了解デス! 朝ごはんの後は、着替え、保育園の持ち物準備。服は全部、J君の主体性を尊重して本人が選ぶ。カバンに着替え一式、予備のマスク(それにも記名!)、検温、月曜のシーツセット、上履き等々。保育園関連の領域は、自分の子どもで経験していないので未知の世界。ママ入院中も落ち度なくやらねばと今から緊張。

ママに「行ってきます」してバァバと元気に出かけるJ君。途中、ツツジの花を拾ったり、おしゃべりしながらゆっくり進む。「バァバ、テレビ、ちゃんと(映せるように)ママからおしえてもらっておいてね」と念を押される。

ところが、あと5メートルで保育園入り口というところで「バァバ、〇〇〇」「エーッ?!  じゃあ、保育園のトイレでしましょうね」「いやだ。だって(ドアじゃなくて)カーテンなんだもん。足も見えて覗けるんだもん」「じゃあ、大人のトイレもあるはずだからバァバとそっちへ行きましょう」「いやだ、いやだ。家に帰る」ママのHさんに電話するが、運悪くつながらない。結局、大急ぎで来た道を引き返して自宅まで。Hさんもびっくり。想定外のことが起こるものだ💦

大遅刻のJ君を送り込んだ後、帰宅してHさんから一日のタイムスケジュール他、引き継ぎ事項を色々と聞く。心の中では、こんなにきちんとしたルーティンで我が子を育てなかったな~と反省しきり。

次に、赤ん坊誕生後にすぐに行う事務手続きについてのブリーフィング。8月の終わりに家族揃ってロンドンへ移り住むことになっているので、区役所に出向いて出生届を急いで出す必要があるという。出生届→戸籍謄本への記載を待って新生児の謄本取得→パスポート申請→英国のビザ申請と続くからだ。すでに申請中のママとJ君のビザもウクライナの影響で通常より時間がかかっている。

お昼はいつも行かな方角のスーパーを案内してもらいつつ、すぐ横のお蕎麦屋さんへ。23区内と思えない昭和レトロな店にほっこり。

昼休憩と買い物を済ませたあとは、再び引き継ぎを色々。気づけばお迎えの時間。J君と帰宅後は再び風呂場に直行し、あとは消灯まで飛ぶように時間が過ぎる。自宅にいるときと時間の流れが全然違う。

現在は産休中のHさんだが、フルタイムで働きながら子育てを続ける母親たちのタスクの多さと大変さを肌でヒシヒシと感じた。夫婦で家事育児を50-50で分担するといいつつ、どれだけの世間の若いパパたちが、この夕方から数時間の過密タスクを請け負っているだろうか。また、ちゃんとお料理したい気持ちがあっても、時短メニューしか作れない現実もわかった気がする。今日の若い家族のありようは、バァバの時代の子育てや家事を参考にはできない、比較して考えてはいけないと、わずか数日の経験だけでも強く感じた。

 [今年もまた大好きなフレンチラベンダーが咲きました]