60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

アルバム『Requiem』

パリ在住のNさんの亡きご主人様を偲んで『Requiem』というフォトアルバムを作ってお送りしたことがあると、前回のブログで書いた。
私が作成したアルバムの中で、異色のもののひとつだ。

Nさんは、夫が勤めていたパリの職場で、とてもお世話になった、私と同世代のすばらしい日本人女性。ご主人様には何度かお目にかかったが、物静かな中にキラリと光る知性が、そのたたずまいと言葉から伝わってくる素敵な紳士だった。ブルターニュ地方のサンマロ市のご出身と聞いていた。

サンマロとブルターニュ地方へは、私の夫が亡くなる二年前の夏に旅した。フランスに初めて住む私には、新たなフランスの魅力を発見する旅となった。地中海気候の明るさに溢れるプロヴァンス地方と全く違い、どちらかというと、侘び・さびという表現が似合うような雰囲気だった。
夫の死から半年後に、Nさんのご主人様の悲報を聞いたとき、悲しみにうちひしがれるNさんの姿が瞼に浮かんだ。フランスはNさんにとって第二の祖国となっているとはいえ、(お子さんのいない彼女は)血縁もなく、パリにポツリと一人残されてしまったのだ。その寂しさを思うと心が痛んだ。ご主人様の亡骸は、妻の彼女の希望は汲み入れられず、義母様の強い意向で、サンマロに葬られたという。仕事を続けている彼女はそう簡単にご主人の元に行くこともできない。

私は、背後から何かに押されるように、アルバムを作りはじめていた。
サンマロとブルターニュ地方の風景、ジヴェルニーの睡蓮池とモネの庭の優しい花たち…。その一方、Nさんの祖国の花であり、私の夫の最期を象徴する千鳥ヶ淵の桜尽くしの見開きページ…。

2012年に旅したときに何気なく撮ったブルターニュの海の風景は、二人の伴侶の死を経て眺めると、なぜか脳裏に「彼岸」という言葉が浮かんでくる。

湾を挟んで遠く霞のなかに浮かび上がる、あのモン・サン=ミシェルのシルエットは、まるで極楽浄土のようにも…

突然、固定電話が鳴った。
パリの職場からのNさんの弱々しい声。(プライベートで電話をかけるような方ではないのに)
「さっき届いて…。アルバムを見はじめたら、もう、涙が止まらなくなって…。思わず電話を…、なんてお礼を申し上げていいのか…」
ーー東京の私も一緒に涙を流していた。

今回、夫と私のアルバムの最終章を作りながら久々に開いた一冊。自分のためのレクイエムでもあったのだと、今になって気づかされている。