60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

千両

昨日で今月の教室が終わった。

一夜明けて早速室内あちこちのしつらえの片付けに取り掛かった。教室の間はお正月風の飾りのままにしてあったが、さすがに気が引けた。洗面所の細い棚は例年と変わらぬ飾りだったが、壁の絵だけは今年は違っていた。

昨年、母の家を片付けた際にもらってきた小さい額を、年末に偶然みたら千両の絵だった。鑑賞するゆとりがないまま軽い気持ちで飾った。

今日取り外す前に初めてゆっくりと眺めた。そして小さな絵に思わず見入り感慨に浸った。さまざまな思いが脳裏をよぎった。

まず、この絵と句の作者は、実父が師事していた江國滋氏であることに気づいた。もしやと思って検索したら「滋酔郎」は同氏の俳号だったのだ。このところNHKの日曜朝の短歌と俳句の講座をなんとなく見ているので、俳句と父の距離が私の中で少し縮まっていた。今朝も番組を見た後だったので、絵の彼方に父・敏夫の面影が浮かんだ。「吐志朗」は師匠がつけてくださったものだと初めて納得した。

そしてまた、暮に気を留めずに読んだ句が、きょうは胸にズキンと響いた。先週、友人のご主人様が急逝された。まだお若く、直前まで普通にお元気にされていらしたのに。一昨日お通夜に伺い、現実の残酷さと悲しみの大きさに心を痛め、私自身の中でその悲しみを引きずっていた。「ひとつぶごとのいのちかな」……一粒一粒が尊い命なのだ。それなのに、夫の命が儚く尽きたように、また一粒、風もないのにこぼれ落ちてしまった。この額を手にしながら、悲しみの中の友人に思いを寄せ、ご主人様のご冥福を改めてお祈りした。

※たった今、江國滋氏は夫よりも一歳早く62歳というお若さで、夫と同じ病で亡くなれたことを知り衝撃を受けている。ますます想いが錯綜し、言葉にならないままに気持ちだけがますます沈む。千両も万両もおめでたいはずなのに…