60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

40歳の「子どもたち」

娘が高校の時に在籍した白根開善学校のママ友Hさんと3年ぶりに会った。群馬県の草津の山奥にある全寮制の学校だ。娘のように学習障害があったり、その他の理由で地元の中学・高校に通えなくなった生徒たちが集まっていた。
親も高齢化してきているので、コロナのため、今回は初めて「一番若い」二人だけでの再会となった。男女差はあれど、お互いにグレーゾーンの子を持つので、共有できる話題や悩みが多い。
私たちの「子どもたち」は今年40歳になる。人生の折り返し地点といえるだろう。卒業から今日までは、「いかに彼らを社会人として生きていけるようにするか」と語り合ってきた。しかし今回は、気づくと、これから下り曲線に入っていくわが子と、高齢期を迎える我が身について話していた。
「子どもたち」の兄弟たちについていえば、結婚し、子どもが生まれ、新たな家庭を築いている。結婚もせず・できずに、もう若くない歳となった「子どもたち」。生涯独身の人が増えていると世間ではいうが、そうした健常者とは根本的に違う。
Hさんの息子も我が家の娘も、障害者ながら厚生年金をかけてくれている職場なので、とても恵まれていると思う。そして、日々の生活はほぼ支障なく本人たちの能力で送れる。しかし、給料が振り込まれる通帳の管理や、公的書類の手続きなどは、やはり第三者の支援が必要となる。そして、親は否応なく先にこの世から消える。精神的にも実務的にも誰がサポートするか?
中年を迎えても尚、いや、むしろ本人も親も年を取ってしまった分だけ、こうしたベーシックな次元について心配になるところが、やはり障害がある「子ども」の親なのだと改めて感じた1日だった。