週末に誕生日を迎えた。還暦を過ぎてからかなり経つけれど、70以降のめでたい節目の年齢にはまだ届かない60代後半は、なんとも中途半端。もともと、義母や夫や子どもたちの誕生日は祝っても、私の誕生日はスルーされてきた我が家。期待値ゼロで迎えただけに、思いがけずうれしいことが重なった。
まず、誕生日前夜に兄夫婦が夕食に招いてくれた。前日解禁となったボージョレ・ヌーヴォーを一緒に飲んで祝おうという心憎い誘い。兄も亡夫もこの新酒に興味を示さなかったのだが、今回初めてこだわって取り寄せたものは、このワインへの見方を変える味だった。おいしいケーキまで用意してくれてあった。ありがとう、ごちそうさま!
誕生日当日は、今月最後の料理教室。朝仕込みをしている最中に友人たちから次々とバースデーメッセージが届いた。お一人お一人からの心のこもったメッセージにジーンときた。
そして翌日は、出張で帰国していた息子に会えた。とはいっても、彼はあいかわらず全然バースデーを覚えていない。(娘まで昨年から忘れてしまっている、💦)
しかし、息子に会い、二人でゆっくり話ができたこと自体が最高のプレゼントに感じられた。「フツーの和食が食べたい」という息子らしい希望で入った大衆食堂のカウンター席で、干物定食と納豆を食べながらのMyバースデーランチ(笑)。ロンドンでの家族との生活も仕事もかつてなく充実して幸せに暮らしている様子が聞けたのは、母親にとっては何物にも代えがたい贈り物となった。
息子と別れて家に帰ると、子どもたちが小さかったころから親戚のように付き合ってきた親友親子が素敵なカードと共にプレゼントを置いていってくれていた。同年齢の彼女と一緒に良い歳を重ねていきたいものと改めて思った。
その一方、作文教室でご一緒したMさんから初めて届いたバースデーメッセージも心に響いた。若いのに苦労人である分、すばらしい人間性に溢れたMさんとは、この一年でお付き合いの距離がグンと狭まった。
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イギリス旅行のお写真や、ご家族のアルバム、ブログを見せていただいたので、少しおかしな表現ですが、〇〇さんのお誕生日を、大好きな方のお誕生日としてだけでなく、身近で親しみのある記念日のように感じます。
過去の今日という日、ロンドンのあの病院で、〇〇さんがお生まれになったんだなぁ、そしてしばらくして、あの素敵な写真を撮られたのだなぁ、と感慨深く、〇〇さんのお父様お母様は、かわいい娘が生まれてきて、どんなにかお喜びになられたのだろう、と拝見した幾つかのお写真とともに情景が心に蘇り、幸せな気持ちで想像しています。
今日から始まる新しい一年が、ご健康に恵まれ、笑顔溢れる幸せな毎日でありますように、お祈りしています
〇〇さんが生まれてきてくださったこと、出会えて、心豊かなお付き合いをさせてくださっていることにとても感謝しています。
ミッキーマウスと同じお誕生日、素晴らしい1日になりますように!
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さすがの文章力のMさん!同時に、私自身も思い入れがある「写真・アルバム」と「文章」の力を改めて感じた。
昨年の節目となる65歳の誕生日には、別の親友二人が、みたことないほど素敵なアレンジメントを贈ってくれて祝ってくれた。そして今年もこんなにも多くのお祝い。
ーー伴侶を早くに亡くし、一人暮らしをしていても、私ってしあわせ者だな~と感慨に浸ったお誕生日となった。