60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

紙撚(コヨリ)と風船爆弾

はやぶさ2が持ち帰ったカプセルが無事に回収され、昨日ついにJAXAの元に戻ってきた。完璧と称されるこの成果は、天文学的数字の確率のミッションを全てクリアしたからこその快挙なのだ。
日本の技術力の高さ、的確な判断力、地道な努力を積み重ねられる日本の技術者たちの資質の高さによるものといえよう。同じ日本人として、誇りに思う。

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ここで、突拍子もない話に飛ぶことをお許しいただきたい。

一昨日と昨日、偶然にも「こより(紙撚・紙縒)」と「風船爆弾」が、私のまわりで話題に上った。
最初は書道教室で。80代前半の先生との雑談で「あなた方は、こよりなんて知らないでしょう?」と尋ねられた。
私は「母から、戦争末期に勤労動員されて、風船爆弾で使うこよりを作らされたと聞いたし、(こよりの)撚り方を教わった」と答えた。
すると同じく60代の別の方が、(戦時中、女学生だったご親戚が)「風船爆弾を作るための和紙貼りをさせられたと聞いている。気流に乗ってアメリカ西海岸に届いて投下に成功した風船爆弾があったらしい」と私の言葉を継いだ。
昨日はまた偶然にも、母が訪問看護師との雑談で、終戦の年に、楮(コウゾ)の和紙でこよりを作らされたこと、カナダに届いたものがあると聞いていると昔話をしていた。

戦争末期に、女学生を動員して、丈夫な和紙で大きな紙風船を作り、爆弾を吊るしてアメリカ本土まで飛ばすという構想に、21世紀の我々は驚きつつ複雑な思いになる。
しかし折しも、はやぶさ2が前回の一号機に継いで、見事に任務を成就したニュースに触れると、ふと、接点が無きにもあらずなのではないか?と思えた。
日本の伝統工芸の匠に留まらず、庶民レベルに至るまで、脈々と継承されてきた(はやぶさ1で話題になった折紙などの)生活の技と知恵が、間接的であっても、探査機の快挙に貢献しているのではないかと思えてならない。
日本軍が背水の陣で作った風船爆弾が、成功例は僅かであれ、アメリカ本土まで届いたという事実は、そうした試行錯誤の一過程といえるのかもしれない、と一人で想像を膨らませながらJAXAのニュースをみてしまった。