昨日、日本では、即位祝賀パレードで日本中が沸きました。
その一方、国際社会のなかでは、昨日2019年11月9日は、ベルリンの壁崩壊から30年を迎える記念すべき日でした。
10年前の2009年、夫とともにスイスの首都ベルン市に住んでいました。小国ですが、ヨーロッパ大陸の真ん中に位置する国。その土地でベルリンの壁崩壊から20周年を迎えたので、強烈な印象を受けた日となりました。
今しがた2009年11月10日に書いた日記を久しぶりに読み返し、十年前に肌で感じた友人・知人たちの熱い思いがよみがえってきました。ここに紹介したいと思います。
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[2009年11月10日の日記]
東西冷戦時代の象徴であるベルリンの壁の崩壊から昨日の11月9日は20周年目の日。その日をヨーロッパの真ん中で迎えてみて、日本では知りえなかったヨーロッパの人々の熱い思いを実感する日となりました。
午前中は、いつもの仏語レッスンでしたが、先生であるDashaは旧東側の小国出身の方。通常はスイスやフランスの時事関係の社説などを持ってこられるのですが、昨日は開口一番、
「今朝、この記事を急いでプリントアウトしてきたのよ。今日がまさしくその日ですもの!」
と渡された記事は壁崩壊20周年を祝うベルリンについてのもの。
いつもなら、私に音読を促す先生は、勢いよく自分で読み始めました。そして、
「...ドイツの再統合(reunification)、
そしてヨーロッパのreunification」
というくだりで、
「これよ、これ!
ヨーロッパのreunificationという表現が素晴らしいのよ!! ドイツだけではないのよ!」
と熱い語調で指摘されました。さらに、
「鉄槌による最初の一撃が壁を揺るがす」
「ドミノ式に壁の崩壊が波及」
についても、
「素晴らしい表現でしょう?!」
――20周年記念式典のクライマックスは、ドイツのメルケル首相がゴルバチョフ元・大統領、ワレサ元・大統領らと3人そろって歴史的な東西の分岐点を歩いて越える瞬間とのこと。
冷戦時代を生きてきたヨーロッパの人々には、これ以上ない演出によって、あの感動を再体験できる瞬間なのでしょう。冷戦時代には想像すらできなかった光景であるわけです。特に先生のように東側で育った方にとっては、その喜びは筆舌を超えるものであろうことが、この私にも伝わってきました。
夕方からは、当国(注:スイス)の名士も多く集まるレセプションに出席しました。記念式典とは全く違う主旨の集まりではあったものの、主賓の方のスピーチも、もちろん「壁崩壊、ドイツ統一、ヨーロッパ統一」から始まりました。
その後、色々な方と歓談している中で、
「あの日、あの瞬間、あなたはどうしていましたか?」
という話題にたびたびなりました。
「わすれもしないよ、あの瞬間わたしは・・・」
とどの方も続けて熱く語られるのです。
夫も私も同じ質問を投げかけられましたが、
「東京にいました」としか答えるほかはなく、温度差を否応なく感じました。
日本人として頭では分かっていたものの、西側であろうと、東側であろうと、ヨーロッパに住むすべての人々にとっては、いかに「歴史が大きく塗り替えられた」日であったかを再認識させられた一日となりました。
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30周年を迎えた昨日、友人たちはどのように喜びを分かち合い、30年前の日のことを語り合っていたのだろうか?