世界的に有名なファッションデザイナー・高田賢三氏が新型コロナウィルスに感染してパリ郊外で死去した。
2011~2013年にパリに滞在している時にお会いする機会があっただけに、今朝のニュースで訃報に接して驚いた。
パリで一緒だった友人からも、悲しみとショックのメールが届いた。
彼女にとっても私にとっても、当時パリ在住だった日本人にとり思い出深かったのは、高田賢三さんが発起人となって冬空の未明のトロカデロ広場で開催した東日本大震災から1周年の追悼集会だ。高田氏が、2012年3月11日の津波が起きた時刻に追悼集会を開催しようと呼びかけて実現したのだ。まだまだ冷え込みが厳しい夜明け前の広場に有志が大勢参集した。発起人の高田賢三氏が心のこもった追悼の言葉を述べ、参加者一同、エッフェル塔から少し脇にそれた日本の方角に向かって黙祷し、心ひとつにして哀悼の祈りを捧げた。
今朝メールを送ってくれた友人は、パリ在住の作家・辻仁成氏から高田賢三氏への追悼文をシェアしてくれた。
その中に出てくる同じく作家の川嶋ルミ子氏とは面識があったので、さっそくブログにアクセスしたところ、ルミ子さんもまた衝撃の中、追悼の言葉を寄せていた。
二人のプロの言葉が記されたURLを載せたいと思う。
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-953/
http://rumiko-paris.blogspot.com/2020/10/blog-post_5.html?m=1
お二人が書いているように、本当に物静かで優しい方だとお会いした時に思った。日本料理の席でご一緒したのだが、白だしで味を含ませた野菜の焚き合わせを、慈しむように味わいながら口に運ばれていた姿がとても印象深く、瞼に浮かぶ。パリに住んで半世紀以上、しかし、日本に住むわたしたち以上に日本人だったのだと、高田氏と親交が深かった二人の文筆家の文章を読んで改めて思った。それだけに、コロナのためにたった一人で、故郷から遠く離れたパリでこの世から去らざるを得なかった無念さを思うと心がとても痛む。
高田賢三氏のご冥福を心よりお祈り申し上げたくおもいます。