60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

フランスのピアノ、プレイエル

猛暑の中、久方ぶりにピアノの調律師のK氏が来てくださった。
夫がパリで求めて持ち帰り、彼の「宝物」だったプレイエルの調律のために。

前回のブログで、夫は最後の最後までピアノを習い続けたと書いたが、実は夫にとってピアノは「50の手習い」、50歳を過ぎてゼロから習い始めたので、初心者のまま人生を終えることになった。子供の頃からずっとピアノを習いたいと願い続け、その夢がようやく叶ったのが50歳。それだけに、弾きたい、習いたいという思いは人一倍強かった。仕事で多忙を極める中でも、出勤前の練習を欠かさず、週末には数時間。そして熱心にレッスンに通った。
フランスが最後の任地となったのだが、若い日の語学研修地であり、思い入れのある国が生んだピアノ、「ショパンが愛したプレイエル」が欲しいと願い、運良く新品に近い中古に巡り会えたのだ。
ピアノを手に入れた夫は、帰国したら子どもたちが巣立った部屋をリフォームし、老後を楽しむMy Roomを作るのだと熱く語っていた。一つの壁は一面本棚にして、今まで読み溜めてきた愛蔵書を並べる、その反対の壁際にプレイエルを据えるのだと。
病が見つかった後も、この計画は実施され、夫がこだわってカスタマイズした本棚に夫自ら本を並べ、ピアノも、クレーン車を動員して窓から運び込む様子を、少年のように嬉しそうに眺めていた。
仕上がったばかりの部屋でプレイエルは初めてその美しく甘い音色を響かせ、夫は大喜びした。
しかし、そのわずか3ヶ月後に夫はこの世を去った。
翌年に、パリの時の先生(音楽留学していた優秀な若い男性)が帰国したのを機に、最後まで教えてくださった地元の先生や有志も集まって、夫を偲んで、夫の好きだった曲をプレイエルで弾いてくださった。
近年のコロナの影響もあるが、主がいなくなったピアノを調律したのはその直前が最後だった。

それから7年も過ぎてしまった。
プレイエル以前のピアノの頃から来てくださっていたK氏に電話をすると、瞬時に思い出して下さり、とんとん拍子で今日の訪問が決まった。
現れたK氏は、お医者さまの触診のように全体を優しくチェックし、
「ほら!まだこんなにいい音を出しているじゃないですか!ここも、まだまだ大丈夫…。ここも。ピアノの寿命から言ったら、全然新しいから、まだまだこれからいい音が出ますよ」
そして、プレイエルの特性について熱く語った後、
「ではこれからゆっくりみていきましょう。お時間をください」
長く眠っていたピアノの魅力ある音を呼び覚ますため、時間をかけて丁寧に調律してくださった。

とても残念なことに息を吹き返したピアノを直接弾いて試すことが私にはできない。
しかし、美しい音を秘めたピアノが夫のMy Roomにあるというだけで、夫の部屋全体が生き返ったように感じた。
夫の命日月をよいかたちで締めくくることができてうれしい。

※我が家に来てくださる方、お時間があったらぜひ、ショパンが愛した音を響かせてみてくださいね♪