60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

2012 Paris 写真家Doineau展

[かなり長くなるが、パリに住んでいた時につけていたブログをコピペ掲載する。]

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2012/4/12

 以前から気になっていた展覧会に行ってきました。Hotel de Ville(パリ市庁舎)で3月半ばから開催されている写真展「ドワノ―、パリ・レ・アール」。レ・アールはパリのかつての中央市場、いわば東京の築地のようなところ。20世紀のフランス屈指の写真家の一人、ロベール・ドワノ―氏の愛着がひときわ深い場所、忙しい仕事の間を縫って撮りためたレ・アールの写真200点余りを一挙公開した写真展です。
正直なところパリに来るまでドワノ―という名前すら知りませんでした。3月に同じHotel de Villeにサンペ(Sempe)のイラスト展を見に行ったときに偶然知ったのがきっかけです。市庁舎の内でサンペとドワノ―の展覧会が同時開催されていたからです。地下鉄駅から地上に出た時に、目に前に長い行列があったので並んでいたオバサンに尋ねたところ、サンペ展という返事がくるとばかり思っていたら「ドワノ―展よ」。サンペ展より長い列ができていただけに興味を引かれました。そのあと新聞の日曜日版でも取り上げてあったので、「パリジャンの胃袋」とよばれていたパリの中央市場les Hallesに働く人々の日常を、ドワノー氏が撮ったものであることを知りました。食に関心がある私にとって、いにしえのパリの台所(胃袋)の姿を是非見てみたいと思い、ぜひ行こうときめていました。
11時に現地に到着すると、前回の以上の長い列。「ここから入場までおよそ1時間半」と書かれた看板。今日のパリはこの時間でも7-8℃しかない寒さ。こんなに寒いと思わず厚手のコートを着て行かなかっただけにじっと立っていると寒さがこたえる。出直そうかと真剣に悩みましたが、今日を逃したら見られないと思い、並ぶことに。雨用帽子や手袋など、ありったけのものを身につけ、出発直前にバックに入れた文庫本のおかげで待ち時間の長さも寒さも忘れて過ごすことができました。結局入場したのは55分後。
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待ちに待った建物の中に入る直前にうしろを振り返ると、まだまだ列は途切れることがありません。こんなに寒い中、あきらめずに待つ人が後を絶たたず、連日混みあっているという事実に驚きを感じました。それも観光客ではなくフランス人と思われる人たちばかりです。会場内の言語ももちろんフランス語のみ。
さて写真展は、見ごたえがありました。白黒写真のよさと迫力が前面に出ています。明け方のまだ暗い中、電球に照らされた市場の活気と人々の生き生きとした顔が印象的でした。アメリカのLife誌からの依頼まである売れっ子写真家として多忙を極めていたはずの彼が、週2回のペースで夜中の3時に起きだしてこの市場の写真を撮りに通ったそうです。常連となり働く人と顔なじみになっていたのでしょう、レンズに向けられた顔はすてきな笑顔や表情。レ・アールで働く人々のありのままの生活ぶりを撮らせてもらっていたのがわかります。都市開発の波に呑まれてこの市場はこののち数年後に取り壊される運命にありました。それだけに、何としてもパリジャンの魂の証ともいうべき市場の情景を「1枚でも多く記録に残さなくてはならない」という写真家としての使命感に駆りたてられていたのが見てとれます。パリとそこに暮らす庶民たちを愛する人間・ドワノ―の、レンズをのぞく温かく切ないまなざしが写真を見る人にまで伝わってきます。
オルセー駅やリヨン駅などに相通じる鉄骨の機能美がみごとな市場の建物。ぎっしりと積みあげるように並べられた野菜。混沌としたようでいて秩序がある店構えと人の流れ。そして、朝市の終了直後のゴミ、ゴミ、ゴミ…野菜くずの山…。あたかも写真から音やにおいが伝わってくるようです。
知っている、この感覚! 戦後の闇市の名残といわれた荻窪のマーケット、25年前のバンコクのアソーク市場、90年代の韓国ソウルの南大門市場やノリャンジン魚市場…、みんな同じ空気が漂っています。アジアだけではないのね、ヨーロッパでも同じだったのね、と実感する。陳腐な言葉を使えば「人間臭さ」。
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そんな中でも牛肉や豚肉(+鹿などのジビエ)の卸業者たちの区画の写真が強烈でした。通路両脇に一直線にぎっしりと逆さにつるされた皮を剥かれた牛、牛、牛。一頭の肉の塊を難なくかつぎだしていく人力たち(Fortsとよぶらしい)、まな板の上に目を閉じてのせられた“ギロチン”状態の豚の頭、そしてその脇に包丁を持って立つ“断頭執行人”いや、肉屋のオジサン。肉を扱う人たちの白衣はモノクロ写真といえども、むしろ、だからこそといえるほど血で汚れているのが生々しい。これだけは、築地の魚市場にはない、肉食文化圏特有の光景といえましょう。
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会場ではSempe展の時と同じように、みな一枚一枚丁寧に眺めていきます。フランス人たちはどんな思いで眺めているのでしょう?
「これがほんとうのパリよ」「古き良きパリはもう失われてしまった」「なんでこんなに活気のある市場を壊すことにしてしまったんだろう」 誇り、郷愁、悔恨、愛国心…もしかしたら「やっぱり私たちフランス人の食の原点はどっしりと食べる肉料理やcharcuterieよね~」と思っているでしょうか。
レ・アールの市場は1969年に、パリ東部に新たに作られたRungis市場に移転し、その後70年代に入って取り壊されてしまいます。その取り壊しの様子、ぽっかりと巨大な穴が空いた市場跡なども克明に写真に記録されています。更地を虚ろなまなざしで眺め入る人々の顔まで。この光景、不適切な比較を承知で敢えて書くと、9・11の1年後にNYのグラウンド・ゼロを眺めたときに通ずるものがありました。もちろん他者による破壊と大量殺りくという行為と、自らの意思で取り壊す行為とは対極にあります。ただ、どちらの場合も、見入る人々の顔には「とても大切なものを失ってしまった」という表情がみてとれました。とくにレ・アールの写真には、近代化という命題のもとに苦渋の決断をし、自分たちの手で壊してしまったという悔恨がにじみ出ているように感じました。
偉大な写真家のおかげで、たとえ写真だけであってもパリジャンの大切な遺産が、後世のために残されたことに感謝し、子孫にまで受け継がなくてはいけないと思ったフランス人が多かったのではないでしょうか。
対する日本では、移転計画がある築地市場の記録を、ドワノー氏のように、継承する文化遺産として撮り残してくれている人はいるでしょうか?21世紀までせっかく生き残っている築地、できることならば失いたくないと改めて思いました。パリの胃袋が変わってしまったのと同じように、築地がなくなれば東京の胃袋も必ずや元と同じではなくなってしまうのではないでしょうか?
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