60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

一枚のアート作品

現代アートとは恥ずかしながら無縁、見る目が全くない。そもそも古典芸術すら観賞眼がおぼつかないのだから無理というものだ。
そんな私が一つだけ所有しているのが、前回のブログの写真、蘭の隣に飾った作品だ。
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スイスの首都ベルンに住んでいたときに親しくなったスイス人女性、ドリスの作品だ。実業家のご主人がいて、悠々自適の方なのだが、その豊かさとは別次元の、伸びやかな自分のアートの世界にドリスは住んでいた。私にはないものばかりを「もっている」人なのだが、なぜかお互いの波長があい、お宅に遊びにいったり、普段行かないところに日帰りドライブに連れていってもらったりした。
日本の風土に惹かれるというドリス、一ヶ月近くかけて一人旅をしたという。その中でも屋久島は彼女に多くのインスピレーションを与えたと熱く語ってくれたのを懐かしく思い出す。

彼女は様々な素材で作品を作るのだが、この作品のように、分厚いアクリル板の中に何枚もの写真を焼き?込み、不思議な世界を作り上げるのが得意だった。
ベルンを離れる前に一点、プレゼントでくださったのがこの作品だ。

なかなか上手くインテリアに取り込むことができずにいたのだが、今年の蘭の一鉢を窓辺に据えたら、自然と彼女の作品に手が延びて飾っている自分がいた。窓辺の光の中で絶妙なハーモニーを奏で、私を春のファンタジーの世界へといざなってくれる。
彼女のピュアで優しい笑顔も透かして見えるようだった。

一鉢の蘭

2ヶ月以上にわたって、私の心を癒してくれているものがある。
一鉢の蘭だ。
コロナが世に広がる前の2019年の暮れに、ある方からいただいたものだ。丁寧に手入れをしないから当たり前なのだが、胡蝶蘭を二度咲きさせるのは苦手だ。しかし、この鉢はなぜか再び花をつけてくれた。
ブログにも書いたが、2/21に最初の一輪が咲いた。嬉しさといとおしさで見入ったのを思い出す。
https://bistrotkenwood.hatenablog.com/entry/2021/02/21/234135
約二週間後、ブラインドを透かして部屋の中まで冬の終わりの光が射し込み、アートな空間を作り上げてくれた。
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花たちはいつしか満開になり、
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そして窓辺を彩って、4月の料理教室に訪れた方々を迎えてくれた。
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窓から射し込む光はいつしか浅くなり、置く場所も、周りのしつらえも変化していったが、花たちは、変わらずに優しい色合いで私にほほえみ続けてくれている。大好きなパステルオレンジに、中心部だけか南国らしい濃厚なピンク。

そしてなんといっても、今年の花が私を楽しませてくれているのはそのシルエットだ。
人は、手入れされていない伸び放題の姿と呼ぶだろうが、その自然さが私は好きだ。
20代に蘭の本場のタイに住んだからかもしれないが、あの頃に見た野生の蘭たちと南国の空気が東京の窓辺に甦える。自然のフォルムは何にもかえがたく美しい。

ゴールデンウィーク中はあまりにも忙しく、花たちに朝の挨拶をするのを忘れてしまった。
ステイ・ホームが延長され、静かな日常に戻った今、花たちは連休前と全く変わらずそこにいてくれた。
そのけなげな花たちに今朝も食卓から視線を投げかけ、喉の渇き具合をたずね、ずっとそのままでいてね、と語りかける。
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鯉のぼりウィークも終了

長かったGWを皆さまはどのように過ごされただろうか?

我が家では、半径1km圏内の外出に留まったにもかかわらず、忙しく過ごした一週間となった。そのためブログは長い「連休」となってしまった。

GWが明けた昨日の夕方、二日ぶりに池に向かって坂を下っていった。公園の入り口の左手に公園事務所がある。普段はただ通り過ぎるのだが、今日は気づいたら顔を向けていた。色とりどりの「もの」が目に留まったからだ。事務所の外に渡したロープに干された「布」たち。洗濯物にしては大きくてカラフルでいびつだ。よくよくみたら…、なんと鯉のぼりだった。

思い返せば、今年ほど、鯉のぼりに一喜一憂し、鯉たちをめぐるプチ・ドラマが多かった年はなかった。

池で一列に泳ぐ鯉のぼりに最初に心躍らせたのが、ブログにも書いた4/24。

ところがドラマは早くも二日後に起こった。池に到着した時には風をはらんで勢いよく泳いでいたのに、池を半周して見晴らしの良い地点に来たらなんと!

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生き物でもないのに瀕死の鯉に大ショック!同じく足を止めた若いお母さんと言葉を失って見入った。孫のJ 君と同じ3歳くらいの娘さんが「ビショビショ...」「ママ、ビショビショだよ~。およがないの?」前夜から吹き続けていた強風でロープが緩んでしまったのだ。

翌日の4/27、朝から心配で足早に池へと向かった。木々の間から色とりどりの姿が見えたときは、思わずホッと胸をなでおろした。公園事務所の人たちが高所作業車を手配して、おぼれた鯉たちを池から救出してくれたのだ。よかった~!嬉しくなって思わず元気な姿を、パシャパシャと何枚も撮ってしまった、(笑)

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二日後の祝日、午前中から息子家族が来た。Lineで送った写真をみた息子は、かつて自分が幼なかった頃に眺めた光景を、我が子にも見せてあげたいと楽しみにやってきた。小雨降る中、皆で見に行った。あいにくの雨だったけれど、孫の J君はゆるゆると泳ぐ大きな鯉のぼりを嬉しそうに眺めた。息子家族の記念写真をパチリ!

その日のお昼は早めの子どもの日のお祝い。食卓に飾ったラムネ付きの小さな鯉のぼりを J君は手に取って「ヤネよ~りた~か~い…」とうれしそうに歌い出す。繰り返し繰り返し10回以上。最初は正しい音程と歌詞に感心していたバァバの私まで「もうそろそろやめましょうか?」

さらに二日後の5/1。息子から写真が届く。前回訪問のもう一つの彼らの目的は、パパである息子が生まれた時に求めた小さい鯉のぼりセットを持ち帰って彼らのアパートに飾ることだった。無事に竿が設置できた報告の写真だった。

「J は大喜びしています」とお嫁さんからもライン。息子の鯉のぼりが再び空を泳げるとは!

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5/4、再び息子たちと娘が来ることになった。五月晴れの美しい日。簡単なサンドイッチとシート持参で公園へ。この日は遊具や小川がある方で遊ぶために。でも帰り道に青空の下で元気に泳ぐ鯉のぼりを見て帰ることができた。

そして6日の昨夕。今年の役目を終えた鯉たちの変わり果てた姿。でも、きれいに洗ってもらえたのかな?

夢の跡ではないが、ゴールデンウィークは終わってしまったのだと痛感した瞬間だった。

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藤、一輪

夕方になってしまったが、公園に行ってみると、無事に鯉たちが泳いでいて、ほっと胸を撫でおろした。

風をはらみ、ふっくらとしなやかに水面の上を泳ぐ姿を間近で眺めると、胸の中でモヤモヤしていたものが、スーッと抜け去っていってくれるような気がする。

ところで昨日と今日、もう一つ、目に留まったものがあった。

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野生の藤の花一輪。

無人の小さな中ノ島の茂みに絡まりながら垂れ下がっていた。栄養条件が悪いのか、すぐ上に育ち損ないの花がひとつある以外は、全く花をつけていない。孤高の藤の花だ。

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色鮮やかな鯉のぼりや、藤棚に豪華に枝垂れ連なる紫の花たちとは対極の姿だ。

しかし、まるでなにかを語りかけてくるような姿に、思わず足を止めてじっと見入ってしまった。

昨年の一回目の緊急事態宣言の時もそうだったが、Stay homeモードに心のスイッチが切り替わると、自然や身近なものに対するアンテナの感度が高くなるような気がする。

Stay homeにも「恩恵」がなくはない。

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ハッピーサプライズ

明日から三度目の緊急事態宣言が発出されることになってしまった。GWの人々の移動を抑制するためとはいえ、仕事で大きなダメージを受ける人や企業、連休の楽しみを奪われた家族がどんなにか多いことだろうか。

私自身も昨日、5月の教室中止の連絡を発信した。夫が残してくれた自宅で開催しているので、取りあえず生活は続けられることに、亡き夫に感謝しなくてはならないとつくづくと思う。

5月の料理の試作や準備をすべて中止し、また今日からStay home& 節約生活に努めねばと思いながら、今朝も近くの公園にウォーキングに出かけた。坂を下り、木々の間から池が見え始めた直後に、想定外の「色」が青葉から透けて見えた。

鯉のぼりだった。

池の中央を横断するように渡された綱にかけられた色とりどりの鯉のぼり。昨日はなかったし、ウォーキングを始めた昨年もなかった。

かつて子どもたちが小さかった頃、池にかかる鯉のぼりは、端午の節句の季節の風物詩だった。しかし近年では、使わなくなった鯉のぼりを地域に寄贈する家族も減り、廃止となってしまっているものとばかり思っていた。

私が子供だった頃に(=50年以上前)地元の大地主さんの庭先に空高く泳いでいた大きい年代物の鯉のぼりが、私の子どもたちの時代には水面の上に吊るされ、色あせた胴体を風になびかせていた。そして今朝見た鯉のぼりは…、色鮮やかで美しかった!一体誰が誂えてくれたのだろう? ハッピー・サプライズだった。

池に到着した時は風がなく、力なく静止していた。

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f:id:bistrotkenwood:20210424233115j:plainしかし、5分と経たないうちに風が吹いてきて泳ぎ出した。この時期、何列も連なって泳ぐ名所が日本全国にたくさんあると思うが、たった一列であってもけなげに泳ぐ鯉たちは、気持ちが沈みがちな私たちにエールを送ってくれているように感じられた。

ーーどうか、人が(見に)集まってくることを理由に、緊急事態宣言が発出する明日から取り下げられてしまいませんように!

 

 

 

葡萄のつぼみ

昨年の夏前にぶどうの苗を買ってきて玄関脇の大きめの鉢に植えた。高さ50cmあまり、未熟な房を3つほど付けていた。しかし、葡萄の実にはそれほど関心はなく、むしろ葉に惹かれていた。前々から料理教室で、ぶどうの葉をあしらいに使ってみたいと思っていたのだ。しかし、コロナと母の入院などで教室の中止が相次いだため、残念ながら実用には至らなかった。

晩秋に葉を落とし、Y字の細い枝だけで冬を越した苗は、4月の初め頃から、枝の節々で芽が膨らみ始めた。1週間前、近づいてよく見たら、葉が数枚しか芽吹いていないのに、ミニチュアの葡萄の形のつぼみがいくつもついていた!

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当たり前のことながら、この形の蕾をつけて花を咲かせるから、私の知る葡萄の実がなるのだとこの時初めて納得した。

その数日後、ネット上で衝撃的なニュースが目に飛び込んできた。日本語版のCNNニュース。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35169385.html

フランスで、遅い霜に見舞われ、芽吹いたばかりの葡萄の芽のほとんどがやられてしまったそうだ。今年の収穫は壊滅的になりそうだという。
ローヌ、ボルドー、ブルゴーニュ、ロワール、シャンパーニュ、プロヴァンス…。こんなに広範囲に!と、記事を読みながら眼を疑った。夏に葉が青々としげる葡萄畑の中を、秋に黄金色に輝く丘を、車で走った思い出が脳裏に浮かぶ。
同時に、先週発見したばかりの「葡萄の赤ちゃん」のかわいい姿。
赤ちゃんを守る葉がまだ十分に育っていないところに、凍てつく霜が直撃してしまったらひとたまりもないことが想像できた。

日本に例えれば、日本中の米どころの田んぼが、わずか1-2日の天災によって壊滅的な被害を受け、その秋の全国の米の収穫が激減するような感覚だと思う。
ただでさえ、コロナで多大なダメージを受けているところに、天はなんと無慈悲な試練をフランス国民に与えたことだろう。

「他国の被害を心配している場合じゃない!」とのお叱りを受けそうだが、心の中で、この無情な追い討ちに涙が流れた。

自然現象を前にして、人間はかくも非力なのだ…

日米の架け橋の食卓

コロナ対策を昨年以上に強化した中で、4ヶ月ぶりの料理教室が今日終わった。
今月のメニューとテーマは、カジュアル・アメリカンだったので、食卓もアメリカ合衆国へのオマージュ。
首都ワシントンを象徴する4つの絵柄のディナー皿を使った。両親が70年代に在勤していたときに入手したものだ。その中のホワイトハウスの皿を中央の席に据えてみた。(あとの三枚は、連邦議会、リンカーン記念堂、最高裁判所)
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ホームに入った母の残していった食器や小物類をなるべく使おうと心がけている。長年、食器棚の中で眠っていた思い出の品々に、断捨離する前に、晴れ舞台を作ってあげたいと思うからだ。
今日は菅総理大臣とバイデン大統領の初の首脳会談の日だった。お皿やアメリカのピューターたちを、願ってもないような花道から送り出すことができたように思う。