60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

切れ目がない…

この一ヶ月間、非日常的なことが相次いだ。9/6に息子家族がロンドンに旅立ったことは前回書いた。その前の八月半ばに兄嫁のお母様が緊急入院され10日後に帰らぬ人となられた。海外から駆けつけた兄嫁を始め、家族全員がしっかりと意識のあるお母様と最期の別れができたことが救いだ。その一週間後に母方の伯母が亡くなった。どちらも80代半ば、やはりあっという間のことだった。

息子たちが出発した夜から入れ替わるように兄嫁が隣の家に移動してきて4泊した。そもそも隣は兄夫婦の家。彼らの海外生活が長かったので20年近く母が「占拠」していた。

紙切れ一枚に至るまで捨てない戦争体験者ゆえ、家中、ゴミで溢れていた。8月半ばから何度目かの片付けをスタート。母がホームに入って以来、幾度も片付けをし、大量のゴミを出しているのにまだまだある。

兄嫁が来てからは、彼女の意見をききながら更に品々を選別。というのも、息子たちの出発の翌9/7に兄の帰国の辞令が出たからだ。母の「残骸」をどかさないと兄夫婦がまともに生活すらできない。(クローゼットも引き出しも、母が健在なのでそのままだったのだ)

ようやく暮らし始められるところまでこぎつけた。ヤレヤレだ。

よくきくセリフだが、実家の片付けの苦労は、子どもたちに負わせてはいけないと切に感じる。

息子の出発から半日で兄嫁が、そして一ヶ月後には夫婦二人で本帰国する。「切れ目のない」という言葉を政治家の口からよく聞く:「切れ目のない安全保障」「切れ目のない支援」等々。かけ離れた次元の話だが、8年前に夫を亡くして以来、見事なほど切れ目なく身近に誰がいてくれている。振り回される要因になっていたのも事実だが、ありがたいことであると思っている。

 

息子家族の旅立ち

9月6日に書きかけたブログを遅ればせながらUPします。
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今朝早く(9/6)息子の家族がロンドンへ向けて出発した。4歳のJくんと、出発二日前に3ヶ月になったばかりのベビーもいるので、空港直結のホテルに前泊し、当日は6:30にチェックイン。8:47に「これから出発します」と息子からメールが届く。パンパンに膨らんだ荷物も超過料金無しでクリアできたらしい。
その二日前の夕方、息子家族は、賃貸アパートを引き払って、重いトランク二つをころがして我が家に到着した。バァバの再三の手伝いオファーは断られてしまい「夕食と宿泊をよろしくたのむ」と。嫁のHさんのご両親が引っ越し当日の子守りと掃除を手伝ってくださった。
我が家に到着した4人は、夏中かけてすご~くハードな引っ越し準備をくぐり抜けてきた筈なのに、家族揃って普段と変わらぬ元気な様子、若いってすごいな~と実感。
Jくんもいつものように機嫌よく、彼からみてもストレスが少なく、本人なりに納得・楽しみにしているロンドンへの旅立ちなのだろう。自分が生まれてから5年近く暮らしたアパートが目の前で空っぽになっていく光景は、子どもの目にはかなり衝撃的だっただろうに、前向きに受け止めているところが頼もしい。
暑いなか、自分の分担として、重いリュックを背負って電車とバスを乗り継いでやってきたのだが(バァバとしては「なんでタクシーにしなかったの?!」とびっくり)、「このリュック、重いんだよ~」と会うと同時に発した明るい声と、引っ越しの一員として自分のタスクを全うしている誇らしげな表情が印象的だった。
夕食は娘も合流して家族6人で楽しく、彼らが我が家で過ごした20時間ほどは、かけがえのないひとときとなった。
息子家族の固い絆と明るい表情を見て、海外生活初めてのHさんとJ君にとっても「これなら大丈夫!」と確信した。
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――ロシア上空を飛行できない直行便のため、所要時間は15時間。満席に近い状態だったらしいが、息子が昨年から住むアパートに無事に到着できたとの一報がHさんから入った(深夜の授乳タイムに送ってくれた)。夜が明けてから息子からもラインが届いたが、パパママ異口同音に「こどもたちがおりこうさんでいい子にしていてくれて、思ったほど大変でなかった。二人に感謝」と伝えてくれた。
異国の地で、さい先のよい新生活のスタートとなってヨカッタ、ヨカッタ!

[エアポートリムジンバスを待ちながら]

火球!

昨夜、生まれて初めて火球をみた。

今朝のニュースでご存じの方も多いと思うが、昨夜7時半ころ、東海関東のかなり広い範囲で南の空に火球が見えた。流れ星が大気圏に突入し、非常に大きな光を放つ現象らしい。専門家によると海に落下した筈だという。

ちょうど夕食の支度が出来て食卓に着く直前に、目の前の南向きの窓のブラインドを閉めようと窓際に立ったとき、二軒の2階建ての家と家の間のあまり広くない空間を緑の明るい光が左から右へと横切ったのだ。

この季節なので、漠然と「 花火???」とおもった。近くの広場で誰かが個人使用の大きめの一発を打ち上げたのかな?と。そのようなイメージのきれいな緑の大きな光の玉だったのだ。考え事をしていたせいもあるのだが、後から思い返せば、垂直ではなく、横に動く光、その上、花火に伴う音もしなかったのだから、不思議に思ってよかった筈のに、そのままスルーしてしまった。なにしろ「火球」という存在すら知らなかった。

夜遅くのニュース報道をみて驚いた。早速ネット検索もし、緑の光と言及していたので「これだったんだ!」と4時間近い時差ののち、すごく感動した、笑。

そして今朝になっても感動の余韻は続いた。朝、ブラインドを開けながらいつものように外を眺め、そこから見える空の狭さと、その狭い中を通過する瞬間に窓辺に立っていた偶然に我ながら驚いた。

Lucky Star――このところ大小さまざまな心配事を抱えているせいもあり、私にとっては幸をもたらす星に思えた。だって普通の流れ星とは比べものにならないほど大きく明るかったのだから!

杞憂はきっと良い方へと向かっていくだろう、「大丈夫!」と、今朝のからりと晴れ渡った空を眺めながら確信し、明るい気持ちになれた。

 

夏のアパルトマン

自宅の一階に暑さから逃れられる場所があることに気づいて思い出したことが二つある。
飛躍しすぎて呆れられそうだが、一つはパリのルーブル宮。
そう、美術館として有名なルーブル宮殿。古くは中世に遡る国王の城としての歴史を持つ。時代の変遷と国王の権力の拡大に従って、今日みる重厚な宮殿へと拡張していった建造物だ。
その中に「Appartement d'ete d'Anne d'Autriche (アンヌ・ドートリッシュの夏のアパルトマン)」と呼ばれる一角がある。
セーヌ川に近い(Denon翼の)地上階にあり、イタリア様式の美しい天井画が描かれた部屋が連なっていたと記憶している。
パリに住んでいたとき、友人の奨めでエコール・ド・ルーブルというルーブル主催の“カルチャースクール”の講座を受講した。美術に関連した各種の講座が毎年開催され、主に講義室での講義を受ける傍ら、美術館内で実物を見ての講義も数回あるという、なんとも贅沢な“スクール”だった。
「フランス語がわからなくても、とにかくすばらしい内容だから、必ず学ぶことがある筈よ。それに受講生は美術館の年間入場パスももらえるのよ」と友人に説得されたのだ。フランス語力の乏しさで、講義内容の半分もわかっただろうか? いま思い返しても残念でならない。
このスクールで、私は建造物としてのルーブル宮の歴史についての講座をとった。展示されている美術品ではなく、天井や壁の装飾様式、階段のつくりなどに目を向けてみると驚くほど興味深い巨大な建造物であることに気づかされる。

さて、その講座の実地見学で案内された一つが、冒頭のアンヌ・ドートリッシュの夏のアパルトマンだった。彼女はルイ13世の王妃であり、後にヴェルサイユ宮殿を築いたルイ14世の母だ。幼くして国王になったルイ14世をアンヌは摂政となって支え、政治を司っている。ルイ14世は17歳になった時、母のために「夏のアパルトマン」を作った。彼女が普段暮らすアパルトマンは南向きで夏は暑かったらしい。と言っても、日本の夏に比べれば、暑い部類に入らないと想像するのだが。そもそも「暑さ対策」という概念は、21世紀になって地球温暖化問題が取り沙汰されるまで、北ヨーロッパにはなかったように思う。(それまでは、パリの住居には冷房が不要だったし、いまだにない古いアパルトマンがあると思う)
それでも母のために、夏の季節をより快適に過ごせる東向きのアパルトマンを王は作った。それも、当代随一の建築家や絵師・彫刻家に依頼して華麗な空間に仕立て上げている。王である息子にこのように厚遇された元王妃は他にいないのではないかと思う。(と言っても、マザコンだったという説は聞いたことはない、笑)
「夏のアパルトマン」という言葉が妙に頭に残り、今回、我が家のちっぽけな部屋に避難したら、急に思い出した(笑)。連想するにも比較対象に限度があると咎められそうだが、「古今東西、王侯貴族から長屋の庶民まで、季節限定で過ごす部屋もアリだな」と思った次第。
※この「季節限定の部屋」で思い出したもう一つのことは、後日書こうと思う。

私の避暑地

今年の夏はほんとうに暑い。まだ8月上旬なのに猛暑日の記録を更新しているという。
そんな中、我が家で大活躍している部屋がある。私が「イチロールーム」と呼んでいる部屋だ。独立した子どもたちの部屋を繋げ、夫の一郎さんが、定年退職後に読書や好きなことをして過ごす予定だった部屋だ。しかし、リフォームの完成から僅か3ヶ月で、部屋の主はこの世を去ってしまった。
さて、この部屋はヒッチコックの映画(←古い!)ではないが、北北西を向いている。冬の間じゅう陽が射し込まず、それなのに夏は西日が当たって暑い。その為、この部屋を快適に使おうと思うと夏も冬も余計な光熱費がかかる。かつては子どもたちが寝起きした部屋、そして夫の「夢」が一杯詰まった部屋なのに、独り身としては春と秋にしか使えなかった。
ところが、今年の夏の二階はとてつもなく暑い。屋根が黒いからなのか、ともすると外気温よりも室温が高くなる。先週も、2階の新しい温度計をみると、日を追う毎に35℃、36℃、37℃と上がっていった。洗面所の蛇口をひねると水ではなくお湯が出る。フローリングは床暖房。台所の食器もポカポカ。
電力の逼迫と節電が叫ばれていたので、ここまで暑い部屋を冷やすことに罪悪感を感じた。そこで試しにイチロールームに降りて行って冷房をつけてみた。思いの外早く冷えた。西日が当たる時間帯は、シャッターとカーテンで対応。快適!!
ということで、二階での家事は午前の早めに済ませ、日中はPCを持って一階に避難することにした。日によっては簡単な昼食も一階に運んで食べた。二階に戻るのは陽が落ちてから。
現在、イチロールームは、この夏限定の私の「避暑地」になっている。いや、これから毎年かな?

たかが額、されど額

先月、小さなしあわせを感じたもう一つのプロジェクトがあった。

9年前にプレゼントされたままになっていた版画2枚を額装したことだ。

一枚は、スイス時代の同世代・同業で親しかったフランス人夫婦から。

「イチローにぴったりなのを地元の蚤の市でみつけたから」と、私たちが帰国して数か月後に、わざわざに日本にまで送ってきてくれたもの。

ローマ神話の正義の女神・ユースティティア(ギリシア神話ではテミス)が描かれた古い銅版画。天秤を手に持ち裁量する姿は、司法における法と正義の象徴とされている。女神の台座には「IMPARTIALITE=公平無私、公明正大」と記されている。

心憎い贈り物だ。

しかし、いかにも蚤の市と言っては失礼だが、紙は風化し、周囲には濡れたシミまで浮き出ていて、かなりくたびれた感じ。額縁店に持ち込むのをためらったままお蔵入り。

10年ひと昔というが、当時と状況は大きく変わった。老後を見据えておひとりさまの節約と断捨離を進めている。でも゛夫らしい”この版画は、しばらくの間だけでも気楽に飾りたい。寝室には、安物尽くしだが、パリのノートルダム寺院のリトグラフ、プロヴァンスの風景の水彩画2枚がかかっているので、仲間入りさせたい。

先月初め、徒歩圏にあるユザワヤにダメ元で行ってみた。そして目に留まったのがオールアクリル素材のお財布にも優しく軽い額だ。いまの私にピッタリ!注文コーナーにいくと、マットの台紙のサンプルをたくさん出して相談に乗ってくれる。原版を預けて後日受け取るものと思いきや、30分もたたないうちに完成。シミだらけだった部分は、マットですっかり隠れ、絵の縁のエレガントな小文字だけが、まことしやかな存在感。まるで、汗だくの乱れ髪だった高齢女性が、美容院からすずやかな姿で出てきたようだった。

 

帰宅後さっそくピクチャーレールのワイヤーにフックを追加して、夫の遺影のあるコーナーの近くに吊るした。小さなしあわせどころか、大きな幸福感に満たされた。

※ちなみに、勢いにのって、別の方からいただいたもう一枚の版画を持って再びユザワヤに行ったのだが、作業してくれたオジサンは休みだった。初日にもいた女性によると、そのおじさんはかつては”ちゃんとした”画廊に勤めていた人だという。マットのバランスを割り出す瞬時の判断力と手際よさに納得した。3度目の訪問で、2枚目の版画も、そのオジサンの手によってよい塩梅に仕上がり、フランス絵画の部屋(爆笑)に仲間入りを果たせた。

ーーこの一連の作業の直後に、あの悲劇の7月8日がおとずれ、しばし味わった高揚感は瞬く間にしぼんでしまった。

フォトパネル

7月中、PCの買い替えのほかにも普段できないことに時間を使った。プライベート空間のマイナーなインテリアチェンジ。

その筆頭が、コレ↓↓↓

寝室までの狭い廊下の壁。

元々は、寝室内の夫の書斎スペースに設置されていたものを引っ越したのだ。夫がカスタマイズして長年愛用していたのは、究極の一坪書斎。あたかも押し入れに頭を突っ込んでいるような空間。2013年に壁紙を張り替えた際、夫がレールとフォトパネル一式を注文し、写真も本人が選んで飾り、とても満足していた。

しかしほどなくして主人のいない虚ろな空間になってしまった。せっかくのステキなパネルたち、廊下に引っ越せば私ももっと楽しめるのに、としばらく前から思っていた。今回、思い切って新たなレールを発注し、メンテのおじさんに取り付けてもらった。

移動してみると欲が出てきて、夫がチョイスした写真の何枚かを別の写真に替えたくなった。旅行ガイドブックとは違う、私たちの目で見たスイスやフランスの思い出のシーンたち。

「とりあえず適当に選んで入れてみただけ。あとからいくらでも取り替えていいんだから」という夫のセリフが耳に蘇り、「そうさせてね。ほら、いい感じになったでしょう?」と呟きながら入れ替えた。

写真整理アドバイザーの視点に立って改めて眺めると「こういう思い出の写真の楽しみ方もアリだな」と気付かされている。満足!

※ちなみに、少し宣伝になってしまうが、このピクチャーパネルのパーツ等のシステム一式は、私の伯父が考案(発明)したもの。半世紀前に特許を取得して起業し、伯母と夫婦二人三脚で築き上げてきた会社だ。その伯父は今では第一線を退き、息子たちが後を継いでいる。

https://www.arakawagrip.co.jp/

主に商業スペースや、海外の一流美術館などへと、幅広く展開している「グリップ」が主力製品の会社だ。上下左右の移動・調整が自由自在なので、個人住宅の我が家でも、各所でとても重宝している。