春のジヴェルニーの池もまた魅力に溢れている。睡蓮の紫がかった新芽がかろうじて水面に顔を出している初々しさ。モネが描く睡蓮と柳が頭に擦り込まれているが、春はそれらの主張が強くないのが幸いして、池の周りを彩る花や木々の息吹がスーッと見るものの心に届く。
主張があるような無いような、自然なたたずまい。ベルサイユ宮殿の華麗なフランス式庭園が象徴する造形美とは対極の庭だ。噴水も、彫像も、薔薇もない。
今回、久しぶりにジヴェルニーの写真を眺めてみて、日本のごく普通の池とどこか相通じるものがあると感じた。モネは、時間と労力とお金をつぎ込んで、フランスの庭園美の常識を破って、敢えて無作為な雰囲気の庭を作ったのだ。近くを流れる川の支流から水を自分の敷地に引き込み、せき止めてこの池を作ったと聞いた。浮世絵収集家だった影響か柳を植え、花もフランス人が愛するバラではなく、四季折々の可憐な花を随所に植え込んだ。
東京の地元の池の睡蓮をみて、ジヴェルニーを思い出したのは、ただ単に花からの連想だけではなく、ジヴェルニーの池全体が醸し出す雰囲気によるところがあったのだと気づかされている。もちろん、ジヴェルニーは、観光名所として庭園師が細やかに手入れ・維持しているので、比べものにならないほど美しいのだが。
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付録 [今日のカルガモの親子]