60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

集う

人というものは、集うことが好きであり、集うことが社会生活の一部になっている生き物だと思う。集う中にも、仕事のため、学習するため、或いは親の義務として等、責務や必然として集う場が多くある。その一方、ライフワーク、趣味、ストレス解消の目的で集う場も様々ある。

コロナは、前者をリモートというかたちに変えてある程度継続させたが、私たちの生活の中から、後者を、つまり楽しんだり心を解き放つために集う場を奪ってしまったと思う。
昨年の流行語大賞に「三密」が選ばれたことが象徴している。集うことは悪、と決めつけられてしまったのだ。コロナ収束のためとはいえ、残念なことだ。

今月、半年ぶりに料理教室を開催した。緊急事態宣言が解除になって間もなかったにも関わらず、予想以上に多くの方が参加してくださった。
参加した皆さんは、料理の講習も役立ったとは思うが、それ以上に、食卓を囲み、完成した料理を食べながら、様々な話に花を咲かせることをとても楽しんでいる様子だった。
家族ではなく、よその家の食卓で、ちょっとだけオシャレな料理を友人・知人と食べながら、情報をシェアし、会話を楽しむという場。そこから生まれる熱量のようなものの大きさ、熱さに圧倒された。
みんな、こういう時間と空間に飢えていたのだ、と感じた。

無駄な時間、建設的ではない時間と批判する人もいると思う。しかし、私たち人間が心身共に健康であるために、特に心の健康(そして若さも!)保つためには必要なひとときだと、アナログ時代を生きてきた私は思う。
我田引水の持論だと思うが、ただ単に「必要な栄養を摂るために食べる」のではなく、「皆で食卓を囲み、おいしく楽しく食べる」ことは、心を潤す大切な営みだと思うのだ。
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[久々の教室の内容は、みなさんの方が得意だとおもう和食になってしまったのだが…]