60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

キルギスからきた、ホワイトタイガー?

1月の寒い日に訪れてくださった方にボルシチを作ってお出しした。ビーツや赤キャベツを肉と共に煮込んだ寒い季節にぴったりのロシア料理だ。いや、私たちはあまり考えずにロシアと言ってしまうが、いま最もロシアとの関係が緊迫しているウクライナの伝統料理だったらしい。

ともあれ、雰囲気を出すために「ロシア風」の品々をテーブルに飾った。その中の一つが、キルギス製のフェルト状の羊毛でできた動物のぬいぐるみ。キルギス共和国の隣国のカザフスタンに勤務した友人からいただいたものだ。

f:id:bistrotkenwood:20220201165833j:plain

温もりを感じる姿なので、これまでも冬場の食卓にたびたび登場させた。今回来てくださった方も第一声が「かわいい〜💕!」

次に、「寅年だからホワイトタイガー?」初めて聞く解釈だ。でも、たしかに…。

3番目の質問は、「キルギスってどこ???」

尋ねられると正確に答える自信が揺らぐ。

「ソ連崩壊で生まれた中央アジアの小さい国の一つ。モンゴルより西の、かつてシルクロードの通っていたところ。ほら、天山山脈って聞いたことあるでしょう?…」

NHKの名作シリーズ「シルクロード」の喜多郎のテーマ音楽と石坂浩二の朗読、そして天山山脈をバックに街道を行く取材班の映像が、60代の私の脳裏に浮かぶ。私より若い友人にはわかるかな〜?

考えてみれば、このかわいいトラくんは、相棒のヒツジくんと共に、21世紀であっても地理的に非常に遠いキルギスから、はるばる東京郊外の我が家まで来てくれたのよね。なんだかいっそう愛おしくなった。

今日から2月。あと数日で立春。想像できないほど寒さが厳しい国々に思いを馳せつつ、片付ける前に思わずカメラを向けていた。

f:id:bistrotkenwood:20220202102645j:plain

[今朝の日だまりのヒツジくんとトラくん、「Kyrgystan」と記された素朴な袋とともに]


しあわせな思い出づくり

「Yさんには、おかあさんが幸せな時間とその思い出をたくさんつくってあげてください」「Yさんが歳をとって施設で孤独に暮らすようになった時、その楽しかった記憶はYさんにとってかけがえのない宝となり、生きる希望となるのです」

娘の成年後見の監督人である司法書士のIさんが繰り返し言う言葉だ。

13歳のときに娘に障害があるとわかってからも、不憫に思って優しく接することなく、むしろ障害者なりに自立して生きていけるよう、厳しく育ててしまった母だ。娘の幸せの追求を第一義的に考えるIさんの優しいスタンスと言葉に、母親としてしばしばハッとし反省させられる。考えさせられる。このあいだの年末年始に戻ってきて4泊していったときも、ついイライラしてしまったり、小言をあれこれ言ってしまったダメな母だ。

その罪滅ぼしではないが、昨日は娘と年始から約束していた一日浅草デート。オミクロンが猛威を振るう中での実施に戸惑いがあったが、娘との約束を優先した。グループホームの世話人さんにも、娘の支援員さん(ケアマネのような存在)にも「Yさんは長く続くコロナの間、楽しいことをいろいろと我慢して頑張っているので、浅草でたのしんできてください」と送りだしていただいた。娘を取り巻くみなさんの支援と理解に感謝するばかりだ。

仲見世通りは、閑散という感じでもないがゆったり歩ける。しかし、店々の呼び込みの声が気の毒なほどむなしく響く。浅草寺では、後ろを気にせずにゆっくりと手を合わせてお参りができた。昼食も午後のスイーツも、密を心配する必要のないところでゆったり楽しめた。もらった図書券で買ったという若い女性向きのガイドブックを持参した娘、張り切ってリードしてくれ、浅草ー水天宮ー人形町とのんびりたのしく散策できた。

人形町で老舗の人形焼きの店の前を通ったとき、娘が突然「むかし、人形町で人形焼きを買って、おじいちゃんたちのところに泊まらせてもらいに行ったじゃない?初めてで、私が食べてみたいっておねがいして。浅草のじゃなくて人形町のだったよね」と言い出す。

そうだ、今から25年以上前の1月に、中学1年の娘とともに、フリースクールへの一週間の体験入学のために、当時住んでいた韓国から二人で帰国し、箱崎のターミナルに着いた際に買ってあげたことを思い出した。障害者への道の第一歩のアイコンは人形焼きだったのか…。なんだか感慨深い。

それにしても食べ物の記憶、会話の記憶、本当によくおぼえているな~といつも思う。

こうして昨日の浅草・人形町散策も、娘の心の思い出のノートの中に刻まれ、何十年も後まで読み返されていくのだろう。

小池知事には申し訳ないと思うが出かけてよかった。

f:id:bistrotkenwood:20220129135528j:plain

[娘だけでなく、食いしん坊の私もきっとこのほうじ茶尽くしのパフェのおいしさを長く忘れないと思う、笑]

加藤恭子先生とグランマモーゼズ

グランマモーゼズ展に是非とも行きたいとおもったのには理由があった。
日本にグランマモーゼズを紹介し、『モーゼズおばあさんの四季ーー絵と自伝でたどるモーゼズおばあさんの世界』(BL出版、2003)を翻訳した加藤恭子先生は、私の大学時代の恩師だ。
f:id:bistrotkenwood:20220124225414j:plain
その上、2014-2018年に加藤先生の「ノンフィクションの書き方講座」を受講する機会を得て、先生とのご縁が卒業から40年近い歳月を経て再び深まった。この講座のなかで、先生はたびたびグランマモーゼズを話題にされた。特別展開催にあたり、受講生有志で一緒に観に行こうとLineで盛り上がっていたのだが、まさかのコロナ第六波となってしまった。

ところで、私は娘時代の60年代と70年代に二度にわたりアメリカ東海岸に住んだので、国民的画家の絵も名前も自然と知っていた。最初の出会いは多分クリスマスカードの絵だったと思う。欧米では、12月に入ると次々と届くクリスマスカードを飾る習慣がある。母たちもそのしきたりに倣って応接間のコーナーなどに飾っていた。年中行事の中でもクリスマスにちなんだ絵を多く描いたグランマモーゼズ。雪景色の村の中を、クリスマス準備で人々が楽しそうに行き交う絵は、まるで絵本の1ページを眺めているようで子供心を捉えた。そして、絵の隅に律儀な字で小さく書き込まれた「Moses」の署名。小学2年の習いたての英語でも読めた。1回目にアメリカに住んだのは、亡くなった1961年の数年後だったからか、「Moses」と記されたすてきな絵のクリスマスカードが毎年届いていたように思う。
70年代に再びアメリカに住んだ時もまた、クリスマスの季節になるとグランマモーゼズの絵に出会えた。敢えて大げさなたとえでいうと、北斎の富士や広重の東海道の風景などを日本人のわたしたちは繰り返し目にするように、グランマモーゼズの(特にクリスマスと雪景色の)絵は、アメリカ社会の中で不滅なのだろう。
更に、少なくとも70年代頃までは、少し田舎へドライブに出かけると、アメリカ人の心の故郷ともいうべき風景にまだ出会えたものだ。もちろん、馬車はなく、服装も時代相応に変化しているわけだが。
初めてグランマモーゼズの絵に出会ってから半世紀以上経ったのちに、あたかもバラバラだったパズルのコマがピタッとはまるように、本物の絵が一堂に会する空間に我が身を置けたことをとても幸せに思う。グランマモーゼズがたびたび言及している通り、(過去を振り返る)「memory(思い出、記憶)」が呼び覚まされ、つながった。
そして、先日のブログで記したように、絵との再会の喜びにとどまらず、すばらしい言葉の数々に出会えた感動ははかり知れない。私にとって未来へと導いてくれる「hope(希望)」だ。

最後に、加藤恭子先生が翻訳された冒頭の本の「訳者のあとがき」の一部を勝手ながら引用させていただきたく思う。

*********

15年のアメリカ生活中の7年を、私たち一家はマサチューセッツ州で過ごしました。モーゼズおばあさんの故郷の近く、つまり彼女が描く風景とは、その土地に生活し、子どもを育てながら日々を送っていた私たち自身の風景でもあった。[中略]
日本では無名だったモーゼズおばあさんが今日では広く知られ受け入れられていることを思うと、感無量です。[中略]
それというのも、彼女の作品からは日本人の心を打つ何かが伝わってくるからなのでしょう。淡々と誠実に生きた一人の老婦人の、自然と周囲の人々へ注ぐまなざしの温かさ。「わたしの生涯というのは、一生懸命働いた一日のようなものでした」と語る悟り。[以下、略]

*********

加藤先生は現在93歳。まだまだ原稿用紙に向かう意欲満々でご自宅でお元気に過ごされている。今回の特別展をさらに感慨深くご覧になられたことだろう。教え子の一人としてとてもうれしい。ぜひグランマモーゼズのように100歳を超えて活躍し続けていただけたらと願っている。

心に響くグランマ・モーゼズの言葉たち

Life is what we make it, always has been, always will be.  

 [人生は自分で作りあげるもの。これまでも、これからも]

グランマモーゼズの多くの言葉は名言として語り継がれている。英語環境で検索したところ、最初に挙げた言葉が一番有名らしい。

しかし、個人的には以下の言葉たちが、絵画展の会場で私の心を捉え、そしていまも響き続けている。

I have written my life in small sketches, a little today, a little yesterday...  I look back on my life a good day's work, it was done and I feel satisfied with it.  I made the best out of what life offered. 

Even now I am not old.  I never think of it,    and yet I am a grandmother to eleven grandchildren. 

I would never sit back in a rocking chair, waiting for someone to help me. 

People should take time to be happy. 

Memory is a painter.  Painting's not important.  The important thing is           keepin' busy. 

What a strange thing is memory, and hope; one looks backward, the other forward

高齢者とよばれる65歳を迎える今、たぶん80代で語ったであろうグランマモーゼズの言葉たちは、まさにこれからの人生の道しるべ。

モーゼズおばあちゃん、ありがとう!

最後におもわず肩透かしを食らったような、くすりとほほ笑んでしまうグランマの言葉:

If I hadn' started painting, I would have raised chickens.

ーーこの淡々と自然体なところが、いつまでも愛され続ける理由なのだろう。(養鶏を始めないで、絵筆を持ってくださってよかった~)

f:id:bistrotkenwood:20220120230437j:plain

 

 

グランマ・モーゼズ展

f:id:bistrotkenwood:20220120003409j:plain

昨日、世田谷美術館で開催しているグランマ・モーゼズ展を観に行ってきた。

素晴らしい内容だった。絵はもちろん、グランマモーゼズの数々の言葉に心動かされた。

「モーゼズおばあちゃん(グランマ)」の愛称が物語る通り、アメリカ東海岸の寒い地方の農村で101歳という長寿を全うした農婦(1860-1961)。75歳になって初めて絵を描き始め、80歳頃に偶然に画商に見出された人なのだ。

モーゼズおばあちゃんが育った子供時代、主婦として母として農作業をしながら子どもたちを育てた時代の村の日常と風景を描いている。今日的にいえば「変化が少ない」「単調な」日々。しかし季節は確実に巡り、一日として同じではなく、生業とする農作業も年中行事も村人たちは大切にし、自然と共生しながら暮らしていた。食糧や羊毛などは無論のこと、蝋燭や石鹸まで自給自足の世界に生きたグランマモーゼズ。

1940-50年代にかけて、アメリカ社会は急速に発展し、人々の生活はどんどん便利になり"豊かに"なっていった。そんな時代に世に出たグランマモーゼズの絵に、アメリカの人々は古き良き時代を見出し、自分たちが失いつつあるもの(自分たちで抹消しつつあるもの)に強い郷愁を感じたのだろう。当時の最も有名な週刊誌「Life」の表紙に取り上げられるほどアメリカ国民に知れ渡り愛される存在となった。

グランマモーゼズの絵や言葉が人々の心を打つのは、それが警鐘を鳴らすためでもメッセージを送るためでもなく、楽ではなかったはずの人生の中の幸せな記憶や日常を、あるがままに淡々と表現したからだと思う。そして、亡くなる直前まで、ほとんど変わることのない筆致で、窓から見える美しいものたちを描きつづけた精神力に圧倒されるからだと思う。

グランマモーゼズの絶筆となる作品は「虹」。亡くなる前年の100歳で描いた絵だ。いつもと変わらぬ風景の木々の向こうに、グランマが一番好きな淡く美しいピンク色で虹が描かれている。最後の最後まで、自然、調和、美しさ、希望に満ちた澄んだ心で前だけを見て生き抜いた人生だったことが窺える。

オーディオガイドのナーレーションに耳を傾けながら全作品を鑑賞し、最後に「虹」の前に立った。俳優・吉岡秀隆の温和な語りと辻井伸行のピアノの調べを聞きながら、思わず涙が込み上げてきた。

山あり谷ありの人生の道を歩んできて老いの入り口に立つ今、「いかに歳を重ねていくか」「いかに最後の日まで生き続け、生き通すか」ということをこの絵は教えてくれているように感じた。

感動の一日となった。

 

 

医食同源

久しぶりに冬にタイ料理をお教えした。その理由は…、皆さんにお送りした案内文から引用する。⤵️

*********

年度初めの予定表に「冬のタイ料理」と予告しましたのは、ぜひ一度みなさまに、この季節の果物、晩白柚や文旦をつかったタイのサラダ「ヤム・ソムオー」を召し上がっていただきたく思うからです。パラリとほぐれる柑橘類をタイの食材や調味料と合わせると、おどろくほど魅力的なサラダに仕上がります。
メインは、チェンマイ風カレーラーメン。様々なトッピングが楽しい、ココナツミルクベースの濃厚でエキゾチックな麺料理です。
辛い料理のあとは、優しい口当たりのタイ風カボチャの蒸し羊羹で締めくくろうと思います。

*********

結果は大成功。
サラダは、食べ頃の晩白柚が手に入ったおかげで、この果物の爽やかな香りと食感を楽しめる上品なヤムに仕上がった。
辛さは控えめでパクチーはオプショナル。それでいてアジアン・テイスト。とても好評だった。
反対にメインのラーメンはスパイシーでガツンと辛い。一年のほとんどが猛暑の国の食べ物なのに「寒い季節にぴったり」と皆さん。たっぷりの生姜とスパイスで体がポカポカと温まるからだ。夏バテ防止効果がある一方、冬は免疫力アップが期待できそう。医食同源と言うが、タイ料理の汎用性と奥深さを改めて実感した。デザートに使ったかぼちゃも冬至に食べる栄養満点の食材。
ビタミンCたっぷりの前菜に始まり、βカロテンのデザートまで。使った食材は軽く30品目を超えていると思う。
今回のメニューを制覇した皆さん、「これでコロナも風邪もシャットアウト!」と感じられたのか、いつも以上に満足そうに帰っていかれた。
f:id:bistrotkenwood:20220118084631j:plain

正月 x コンビニ

f:id:bistrotkenwood:20220115083303j:plain松の内も明けましたが、遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

本年もブログ名どおり、60代なりの幸せ探しをしながら、徒然に綴っていこうと思っています。引き続きお付き合いいただけましたらうれしいです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

皆さまにおかれましては、よい年末年始を過ごされましたことと思います。

我が家では、年を追うごとにお正月準備が簡略化されていっているにも関わらず、年末のバタバタ度合いだけは加速。これが年を取るということでしょうか?(^^;

娘はいつものように12/30~1/3の間、泊まりに来てくれ一緒に過ごすことができた。年末は(戦力にならず、食べることだけは積極的な)娘がいることによるフラストレーションの方が正直大きかったが、恒例の紅白を娘の解説付きで観るあたりから好転、新年に入ってからは楽しい三日間となった。

特に今年の三が日のハイライトは、コンビニの食巡り、笑。

きっかけは、1日の夜に娘が見ようとチャンネルを合わせた「ジョブチュン元日SP」。正月の恒例番組らしいのだが、コンビニ大手三社それぞれが推挙した(食事部門とスイーツ部門の)1位から3位のイチオシ食品を、プロのシェフたちが試食して合格・不合格をジャッジするというもの。

満場一致で合格を勝ち取る食べ物もある一方、不合格をたくさん獲得してしまう食品もある。コンビニ各社の開発責任者、開発担当者の「自信作です!」という熱いアピールのあとだけに、歓喜の涙あり、惨敗の涙あり。そして、試食するシェフたちのコメントも的を得ていて興味深い。さらに、グループホーム生活とはいえ、コンビニ食品をそれなりに知っている娘のコメントも横から加わる。私自身も料理教室を主宰しているだけに実に面白かった。

翌2日の朝、娘が「全員合格を出したピザ、お昼に食べようよ」と提案。こちらも内心食べてみたいと思っていたから即答、大賛成。「あの番組見た人たちで売れ切になるかもしれないから急いで買ってきておいた方がいいわよ」徒歩3分ほどのところのコンビニにさっそく行ってくれた。「まだたくさん残ってたよ~」

さっそくお昼に二人でワクワクしながらアツアツを試食。なるほど、GOOD!

午後は、近くの神社に初詣。我が家にとって節目ごとにお参りし、ご利益のある神社だ。娘は大吉で大喜び!幸先の良い年明けだ。

そのあと元日の食べすぎ解消の運動を兼ねて二人で20分余りの駅まで徒歩で往復した。

買う予定のものを購入した後、今度は私から「きのう高得点評価だったスイーツ、たべてみたいわ。今晩のデザートにしない?」

ピザとは別のコンビニチェーン。わざわざネット検索して立ち寄る。よく見ると店の外に昨夜の番組の宣伝ポスターが貼られている。そしてこのコンビニがエントリーした商品の写真が掲載されているのだが、うち3つに「合格」のシールがさっそく貼られていた。まるで受験か選挙のようだ。

さて、合格の快挙のスイーツたちだが、片方はラストワン、もう一方は在庫十分。無事にゲットできた。

夕食の後、二種類を半分に切り分け、開発担当者や有名パティシエたちの言葉を頭に浮かべ、味わいながら舌鼓。「私たちがこれを作ろうとしたら原価割れしてしまいますよね~」と二人のパティシエが顔を見合わせながら言ったコメントにうなずく。

「日本全国、どこにいってもあるんだよ。どこでも食べたいときにこれと同じものが買えるんだよ」という娘のコメントにも大きく同意。

日本のコンビニってすごい!世界中さがしてもこのクオリティーのコンビニはないと思う。

ーーこんな他愛もないことでしあわせを感じられるとは…   自分でも笑ってしまう  (*^-^*)へ   …でも、思いがけず楽しく非日常的な正月となった。

追記:

1/3は、用事があって自宅から徒歩7-8分の別のコンビニへ。前日に制覇していない3つ目のチェーンだ。入選したスイーツがあった一方、まさかの結果のスイーツもあった会社だ。予定していなかったのに、気づいたら合格スイーツに手を伸ばして買っている自分がいた、笑。翌日のティータイムに一人で楽しんだ。やっぱりすごいな~と思う。同時に、棚にたくさん並んでいた不合格スイーツと開発者の落胆した涙顔を思い出すと、どの世界も厳しいとつくづくと思う。

更に、メディアの力の怖さもヒシヒシと感じた。60過ぎのバァバの購買行動をも左右するのだから…