60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

しあわせな思い出づくり

「Yさんには、おかあさんが幸せな時間とその思い出をたくさんつくってあげてください」「Yさんが歳をとって施設で孤独に暮らすようになった時、その楽しかった記憶はYさんにとってかけがえのない宝となり、生きる希望となるのです」

娘の成年後見の監督人である司法書士のIさんが繰り返し言う言葉だ。

13歳のときに娘に障害があるとわかってからも、不憫に思って優しく接することなく、むしろ障害者なりに自立して生きていけるよう、厳しく育ててしまった母だ。娘の幸せの追求を第一義的に考えるIさんの優しいスタンスと言葉に、母親としてしばしばハッとし反省させられる。考えさせられる。このあいだの年末年始に戻ってきて4泊していったときも、ついイライラしてしまったり、小言をあれこれ言ってしまったダメな母だ。

その罪滅ぼしではないが、昨日は娘と年始から約束していた一日浅草デート。オミクロンが猛威を振るう中での実施に戸惑いがあったが、娘との約束を優先した。グループホームの世話人さんにも、娘の支援員さん(ケアマネのような存在)にも「Yさんは長く続くコロナの間、楽しいことをいろいろと我慢して頑張っているので、浅草でたのしんできてください」と送りだしていただいた。娘を取り巻くみなさんの支援と理解に感謝するばかりだ。

仲見世通りは、閑散という感じでもないがゆったり歩ける。しかし、店々の呼び込みの声が気の毒なほどむなしく響く。浅草寺では、後ろを気にせずにゆっくりと手を合わせてお参りができた。昼食も午後のスイーツも、密を心配する必要のないところでゆったり楽しめた。もらった図書券で買ったという若い女性向きのガイドブックを持参した娘、張り切ってリードしてくれ、浅草ー水天宮ー人形町とのんびりたのしく散策できた。

人形町で老舗の人形焼きの店の前を通ったとき、娘が突然「むかし、人形町で人形焼きを買って、おじいちゃんたちのところに泊まらせてもらいに行ったじゃない?初めてで、私が食べてみたいっておねがいして。浅草のじゃなくて人形町のだったよね」と言い出す。

そうだ、今から25年以上前の1月に、中学1年の娘とともに、フリースクールへの一週間の体験入学のために、当時住んでいた韓国から二人で帰国し、箱崎のターミナルに着いた際に買ってあげたことを思い出した。障害者への道の第一歩のアイコンは人形焼きだったのか…。なんだか感慨深い。

それにしても食べ物の記憶、会話の記憶、本当によくおぼえているな~といつも思う。

こうして昨日の浅草・人形町散策も、娘の心の思い出のノートの中に刻まれ、何十年も後まで読み返されていくのだろう。

小池知事には申し訳ないと思うが出かけてよかった。

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[娘だけでなく、食いしん坊の私もきっとこのほうじ茶尽くしのパフェのおいしさを長く忘れないと思う、笑]