60からのしあわせさがし ~bistrotkenwoodの日記

徒然日記、料理教室、学習障害、お一人様、外国との縁

写真整理上級アドバイザー

夫の命日の夕方、母のところから帰宅するとポストに見覚えがあるロゴ入りの封筒がとどいていた。6/5付のブログで紹介した写真整理協会からだ。

https://bistrotkenwood.hatenablog.com/entry/2021/06/05/180714

中からは、「合格証/写真整理アドバイザー 上級」そして三段目には私の名前が記された合格証。

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年明けの緊急事態宣言発動中にこの協会の存在を知ったのが始まりで、3月に初級アドバイザーの資格を取得。5月に上級講座を2回にわたってZoomで受け、出された課題をなんとか仕上げて提出。メールで一足早く結果を受けていたが、やはり紙の合格証を手にするとうれしい。(ちなみに、この秋に創立三周年を迎える若い協会には、現在のところ初級と上級の資格しかないそうだ)

デジタル写真データの扱いについて過去10年近く腐心し、私の場合、大切な写真はデータ利用のアルバムを作ることで形に残してきた。それだけに、写真整理は非常に興味ある分野で、資格を取って経験を生かせたら思ったのだ。

協会によると6月1日は「写真整理の日」だそうだ。この記念日に前後して開催された様々な単発講座も受けたが、どれも学ぶところが多いし、講師も受講生もいい方々ばかり!ますます、この世界に魅力を感じた。ただ、60代の文系頭には、飲み込むのが大変な部分も多く、そこが辛いところだ。

図らずも合格証が、夫の命日に届いたことに運命を感じる。

自宅で開催している小さな料理教室が私の”本業”であることにかわりないが、昨年まで母のサポートに費やしてきた時間が空いたいま、この新しい世界に踏み出してみようと思う。

「やってみたら?」と夫が背中を押してくれているように感じている。

7年の歳月

10日以上のブランクとなってしまった。

まず、前回のブログのすぐ後から、カルガモたちにほとんど会えなくなってしまったのだ。豪雨のあと、心配して二つ先の駅まで川に沿って歩いて探しても、池の周りをめぐっても、可愛いヒナたちはみつからなかった。濁流に乗って川を下っていき、どこかで無事に成長していると信じたい。

先週は、母の入院・手術があった。幸い命にかかわる病ではなく、母の長年の持病の糖尿病に起因する疾患の治療。昨秋は右足、今回は左足。治療が遅れると切断という悲劇が待ち受けているが、幸い毎回未然に防ぐことができ、安堵している。

そして、6月23日は夫の命日だった。亡くなって7年も経ってしまった。7歳年下だった私は、現在、夫が亡くなった63歳。これからは、夫は(チコちゃんではないが)「永遠の63歳」で居続け、私は誕生日が来るたびにどんどん年上になり、お婆さん街道をまっしぐらに進むことになる。こんなはずじゃなかった。

命日前後は母の入院と重なったので、一昨日の日曜日に家族でお墓参りに行った。(法事も式年祭も行わない無宗教の家族だ。)

3歳のJ君は、お墓掃除に参加できる年齢になり、パパやママのまねをして歯ブラシで汚れを落とし、柄杓で上手に水をかけてくれた。そのあと、パパと一緒にお祖父ちゃんに手を合わせることができた。

「Jさん、ジィジに会ったことある?(孫は自分のことを”Jさん”と呼ぶ)」

「お祖父ちゃん、どこにいるの?」

「(墓石を指さして説明すると)ここを開けて、ジィジがいるの見れるの?」

などなど質問攻めにあう。孫が頭の上をヒタヒタと歩く足音と、にぎやかなおしゃべりをジィジはニコニコしながら聞いていたことだろう。ほんとうは、Jさんに会って一緒におしゃべりしてもらいたかったな~。早くも夫の片鱗?が見え隠れする理屈っぽいJ君、二人のやり取りを聞いてみたかった。

J君のパパである息子は、8月1日に海外留学に単身で旅立つ。そのため、この日はお墓参りの後、お嫁さんの家族と久しぶりに会ってみんなで食事をした。留守家族となるJ君とJ君ママをサポートするジジババ応援隊の決起集会だ、笑。

母の老いも、J君の成長も、息子とお嫁さんの関係も、そして私の日々も…、やはり7年という歳月が流れ、そしてその流れは大きく変化を遂げながら、更に大海原へと進んでいっていると、例年以上にしみじみと感じた今年の6月だった。

f:id:bistrotkenwood:20210629233527j:plain [今日、2階の窓辺で撮ったスナップ。

何の花だかわかるだろうか?

6月のタイ料理の試作の際に、次々と葉っぱをつけて大活躍してくれたパクチーの苗!

いつの間にか、食べるパクチーから、可憐な花咲くハーブ・コリアンダーへと変身していた✨]

地元の公園の60歳の誕生日

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いつも行く地元の公園が、今日で創立60周年を迎える。1歳半からこの土地に住みつづけている者としてとても感慨深い。私より数歳だけ若い公園。幼児期に遊んだブランコや滑り台や池のボートは、何度か世代交代したものの、ずっと同じ場所にある。私の子どもたちも、生まれて初めて散歩したのはこの公園だった。

設立が1961年ということになるが、終戦から16年、また1951年のサンフランシスコ平和条約によって日本が占領下から主権を取り戻してから10年。一般国民にとっては、ようやく生活の基盤が整い始めた時代だったのだろう。近代国家の仲間入りの象徴となる東京オリンピック開催まであと3年という時期になるわけだ。

終戦後もつづいた食糧難の時代にあっては、土地といえば農作物か家畜目的以外には考えられなかっただろう。一般市民が憩う公園というのは、考えてみれば贅沢な存在だ。まして、公園維持に資金と労働力を自治体は割かなくてはならないから尚更だ。都心の公園の多くは、天皇家、大名屋敷、神社仏閣に由来するものが多いと思う。同じ武蔵野であっても、井の頭恩賜公園と違い、由緒もない単なる自然な公園を造設した当時の地元の有力者と都政関係者の尽力に感謝の気持ちでいっぱいになる。

いま改めて幼児期の記憶をたどると、我が家から歩いて(子供の足で)10分ほどでたどり着く池から見える対岸は、草ぼうぼうの草っ原で、親からは「行ってはいけないところ」と言われていた。ブランコなどの遊具はそれよりもずっと手前にあるので、遊びに行ってもそこまでで引き返す。公園ができた当初は、「公園」と呼べる部分は限定的だったのだと改めて思う。

それにしても、子ども時代の記憶を親目線で振り返って驚くのは、一つ年上の兄と私で、二人とも幼稚園児だったにもかかわらず、池のすぐ脇に住んでいた幼稚園友だちの家に子どもだけで始終遊びに行っていたことだ。みんなで公園内で走り回って遊んでいた。ゲンちゃんという兄の同級生は、今風に言えばアスリート系で、木登りはまるで猿のようにうまかった。いちど「母の掟」を破って、池の反対側の原っぱに6-7人で遊びに行ったことがある。その日は、兄が珍しく下駄をはいていた(それにも今の感覚で驚いてしまう)。子どもの背丈以上ある草の中はスリルがあり、たぶん追いかけっこでもしたのだろう。兄が下駄の片方をなくしてしまった。当然のことながら見つけることはできず、べそをかきながら家に帰り、二人揃って母にひどく怒られたことを思い出す。

ーーとここまで書き、60年という歳月は、もはや昔話の世界なのだと気づかされる。そのうち孫にも、おばあちゃんの昔話、地元の昔話でもしてあげようかな。

🦆karugamoパパラッチはつづく

またまたカルガモのことを書くのをお許しいただきたい。昨年とはまったく違う発見が多いので、書かずにはいられない。昨年は、ヒナたちが巣立つと同時にウォーキングの頻度が激減し(猛暑と重なったのもあるが)、ブログのアップ率も急落した。期間限定のパパラッチ・ブログに、あと1ヶ月半? ほどお付き合いいただけたらありがたい。

今日は、(開催できればだが)7月の料理教室で紹介するタイ料理の2品を試作するため、食材を買い求めに一つ遠い駅まで歩いていくことにした。いつもの川に沿って4-5km歩き進むと駅の近くにたどり着く。運動になるし、カモたちチェックもできるから一石二鳥と思ったのだ。

ふだん引き返す橋を超えて進むと、川の水は川幅いっぱいまで広がって流れる。「こんなところで親子で暮らせるのだろうか?夜はどこで寝るのだろう?」などと心配しながら下っていくと、いたいた!まずは7羽。次に4羽。どちらもまだ幼いヒナたち。川の縁のほんのわずかの「浅瀬」に沿って、歩いたり泳いだり餌をつついたり。

そして次に会ったのは、一石二鳥!(笑)

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近くに兄弟の2羽とお母さんが泳いでいたが、川の真ん中の小さな石の上でピタリと寄り添って休んでいた。池ではお目にかかれない風景に「ほう~っ!」。 [2番目の写真で泳いでいる2羽のヒナが見えるだろうか?]

更に進むと、今度はもう少し大きい石の上に、ぎっしり身を寄せ合って眠るヒナたち。現地で数えた時は8羽と思ったが、帰宅してよく数えたら10羽もいた。(こんどは十把(羽)ひとからげ? 笑)大きさからすると、10日ほど前に池で会った生まれたばかりのヒナであってもふしぎではない。

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それにしても、どちらも川の真ん中にある非常に狭い「孤島」だから、さすがのカラスも襲いにくいのかもしれない。人間だったら転落しそうな石の縁で寝ているお母さんカモの姿も感慨深い。

都市型河川で生き延びていくための知恵とたくましさ、たいしたものだ。

人込みを避けた自粛生活が長びく中、こんなにも変化に富んだトキメキを与えてくれるカルガモの親子たちに心から、ありがと~う💕!!

 

🦆Karugamo weekly

「カルガモ引越センター」という業者があるが、カルガモの親子は移動する(引っ越す)習性があることを2年目にして初めて実感している。カルガモの「おっかけ」を始めた昨年は、出会ったのが一組だけだったし、ヒナが生まれた時から巣立つまで、ずっと同じ池に定住するマイホーム型の母子だった。

今年は違う。まず、何組もの親子に出会っている。イクメン・パパガモとも何度か遭遇した。孵化する時期にもかなりの開きがあるので、大きさもまちまち。そして、一ヶ所に留まらずに移動する。11羽、10羽、8羽、7羽、6羽、5羽、4羽と、出会うヒナの数も違うし、居る場所も日によって変わる。識別できる足環などないから、今日会っている親子が前に会ったどの親子か?さっぱりわからない。6/3に下池で会った生まれたばかりの10羽のヒナたちは、翌日には池から姿を消してしまった。川へと引っ越したとしか思えない。火曜日には川で小さめの8羽のヒナに会ったし、今日は、小さめの7羽。

その一方、私は池から1キロほど下流までしかフォローしていないが、更にずっと下っていった別の公園付近には、何組ものかなり育ったヒナたちがいると、複数の「おっかけ」仲間から聞いた。

池で孵化したのち、川に移動。私が観察している1キロほどの区間の中でも、日によって流れを遡ったり下ったりしている。もう少し育つと、川の形状が変わる水流に乗って、更に下流へと引っ越していくのか?ーー今年はわからないことだらけだ。

その上、コンクリートの川で見下ろして撮る保護色の親子の写真はどれもパッとしない。今週は毎日カルガモ・ウォッチに出かけているし、川での親子の動静はなかなか面白いのだが、ブログにアップするまでには至らなかった。

そんな今日、久々に上池に「定住」している4羽のヒナ、川では、7羽のヒナの母子、5羽のヒナとイクメンパパもいる家族に会えた。池のヒナたちは他のヒナたちと比べものにならないほど大きく成長していた。体のバランスが親鳥と同じになり、くちばしも一人前の形に伸び、モフモフ期を卒業しようとしていた。

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「今日はいるかな?だれにあえるかな?」と思いながらヒナたち会いたさで毎日暑い中、かなりの歩数歩いている、笑。

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[同じ6/11なのに、 こんなに大きさが違う]f:id:bistrotkenwood:20210611233551j:plainf:id:bistrotkenwood:20210611233634j:plain[小さいのにお母さんの後を追って果敢に流れをのぼっていく。流れに逆らって泳ぐには、お母さんのまうしろが一番水の抵抗が少ないのだろう。しかし、水紋は荒く激しい]

 

 

老いのお手本④

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「老いのお手本」として、昨年のブログで度々紹介した書道教室のAさん(男性)。96歳になった今年もコロナ自粛期間中にまたまた素晴らしい作品を仕上げられた。

昨年は、「千字文」を楷・行・草で3000字書きあげ、その無欲の偉業に感動した先生が作品を美しく装丁して全国千字文大会に応募したところ、特選賞を受賞されたことは既に紹介した。

老いのお手本③ 千字文

https://bistrotkenwood.hatenablog.com/entry/2020/07/07/171435

㊗️95歳のAさん、千字文大会で特選!

https://bistrotkenwood.hatenablog.com/entry/2020/10/12/180304

先週の月曜日、「ようやくワクチン接種してもらいました」と言いながら久々に登場されたAさんが携えてきたのは、過去1年に習った四文字熟語がかかれた条幅だった。昨年のコロナ感染拡大直前の2月にも、同様の条幅を仕上げて持ってこられた。第二作となる今回の作品について、「コロナで休んでしまったので、今回は(熟語の)数が減ってしまいました」と残念そう。その言葉にも頭が下がる。

実は、千字文と四文字熟語のほかにも、Aさんは、自由課題を仕上げられている。

昨年の夏には、6/23の沖縄終戦の日の式典の際に少女が読んだ詩を書写した手紙を、先生をはじめ、教室のわたしのような生徒にまでくださった(写真は、先生宛に届いたものを先生が美しく表装)。

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さらに、今年の1-3月の緊急事態宣言中には、アメリカのバイデン大統領の就任演説を、「内容にすごく感動したから」と書いて持ってこられた。新聞記事の全文を、半紙に一字一句間違えずに書き写されているのだ!

どの作品も、96歳とは思えない集中力・精神力・知力の賜物だ。どこまでもスゴい方なのだ。

この2年ほどの間に、耳は以前にも増して遠くなり、足取りは細かなすり足になられ、身体の老いは進んでしまわれた。それでも、教室までバスで通ってこられ、書かれる字はどんどん力強く、上達していかれている。

 どうか、転倒されぬよう、いつまでもお元気に通われ、私たちの「希望」の星として輝きつづけていただけたらと心から願っている。

 

 

写真整理アドバイザー+🦆karugamo

写真整理協会という団体をご存じだろうか?

相次ぐ緊急事態宣言のために今年になって料理教室を開催できたのは4月の一回だけだった。自粛を逆手にとって、普段なかなか取り組めない資格取得に挑戦してみた。三つの分野の、知名度がまだ低い資格だが、それぞれ取得できた。

その一つが、一般社団法人 写真整理協会が認定する初級写真整理アドバイザーという資格だ。昔の紙焼き写真も、スマホの中の写真データも整理できず、見ないままに「ただ貯め込んである」人が多いと思う。かたや、年老いた親の家に山積する重いアルバムや写真や古いビデオなど、その一方では、子どもやペットや趣味の写真が日々増え続けて容量が“逼迫”しているスマホまで、現在、誰もが抱えている悩みであり問題だと思う。

写真整理アドバイザーは、そうした悩みに寄り添い、それぞれのニーズに合った解決策をアドバイスし、要望によっては、紙の写真をスキャンしてデータ化したり、アルバム化など、形にまで仕上げる専門家だ。[詳しくは、ぜひブログ末部掲載のサイトをご参照]

協会発足から、まだ3年弱という若い団体だが、浅川純子代表理事という、キャリアにとどまらず人間的にも素晴らしい方のリードのもと、実力と魅力にあふれるベテランが牽引し、全国にアドバイザーが展開して活躍している。

10年以上前から、デジカメ写真で撮った写真でアルバム作成を続け、ここ2年は、母の人生アルバム(米寿祝い)と、私のファミリーヒストリーアルバムを仕上げてきた経験から、アルバム作りと写真整理のノウハウに非常に関心があった。そして、人生を60年余り歩んできた者として、アルバムに仕上げることの喜びと、形に残せた安堵感を、様々な人にも知ってもらえたらと思っていた。

同団体の存在を偶然ネット上で知ったのが今年の初め。さっそく初級認定研修に申し込んだのが始まりだった。Zoomで様々な講習を受け、先月は、上級アドバイザー認定資格研修を受講した。課題も提出し終え、現在、合否判定待ちだ。果たして結果は?

 写真整理協会 https://photokeep.org/

↓↓↓ [Karugamo today]

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おとといの10羽の赤ちゃんたちには会えなかった。どこにいるのだろう?

今日会えたのは、川で5羽。5羽ってどの家族???  8羽の家族?、それとも11羽だったのが減ってしまったの?

川の両側が垂直なコンクリートで、味気ない。その上、こちらははるか下を見下ろすことしかできない。

水のなかをちょこまかと泳ぎ回るヒナたち。池では見ない動きっぷり。それもそうだ。緩やかであっても、水は流れているのだ。流されないように同じ場所に留まるためには、小さな翼や水かきをたくさん動かして泳がなくてはならないのだ、と気づいた。池のヒナたちよりもたくましく育つかな? 💪💓