娘が2年ぶりに部屋によんでくれた。
逆に言うと、その間、部屋があまりにも汚くなっていて、私を呼べなかったのだ。
娘の支援員が初めて女性になり(以下、Tさん)、もう一人の支援ワーカーのOさん(同じく女性)とともに、昨年後半くらいから、色々とテコ入れして下さっていることは前回のブログで書いた。
「娘の住空間についての悩み」(2019/12/09)
https://bistrotkenwood.hatenablog.com/entry/2019/12/09/204720
Tさん・Oさんそれぞれが、娘と共に片づけや生活改善のアドバイスなど試みてくれたのだが、時間的制約もあり、はかばかしい成果が得られなかった。
そこで、昨年12月に、プロの掃除サービスに数か月入ってもらうことを提案され、承諾した。週一回、毎回2時間ほど。わずか30平米ほどの部屋でそこまでやってもらう仕事があるのか?と思ったがお願いした。
そして、サービス開始1ヶ月経った2月初めに、私を部屋に招待したいと娘が久々に言ってきたのだ。
同時に、Tさんからも連絡が入り、3月からの方針についての相談があった。高額なサービスなので、長く続けられるものではない。しかし、どうやったら改善された現状を本人が維持できるかを考える必要があるからだ。
そのためにも、まずは私が、娘の「きれいになった部屋」を見て、感想と意見をTさんに伝えることになった。娘の部屋訪問は、娘が料理を作ってくれる「招待」のほかに、「視察」を兼ねたものとなった。
ところが、いよいよ明日という夜中に、母の転倒事件が起きてしまい、ドタキャンとなってしまった。そのため、招待部分は順延にして、事件から二日後の午後、視察だけに小一時間訪ねることにした。
第一印象:「これで片付いたの?」
掃除業者は、捨てながら片付けるということはしない。きれいに汚れをとり、掃除するのが仕事だ。
部屋中にあふれる品々に油汚れとほこりがこびりついていたのだろう。
所狭しと置かれた小物や、ぬいぐるみや、小さいフィギャーと、それらが飾られた場所は、触れるとさらりときれいになっていた。ここまできれいにするのはたいへんだったことだろう。
目に余る汚れ方、散らかりようだったことが「これできれいになった」状態から想像できた。プロの手を入れざるを得なかった理由もよくわかった。
母親として、今まで介在してこなかったことを反省した。その一方、母親だからこそ、娘の部屋に踏み込むのが難しいと、改めて思った。
視察の二日後には、Tさんと会って2時間以上話し合った。最初に、親として申し訳なかったとお詫びの言葉を伝えた。すると、
「障害者の自立をサポートし、よりよい生活ができるように支援していくのが私たちの仕事ですから」という返事がかえってきた。
娘の成育記の本にも書いたが(※注:欄外の「My Bookstore」参照)、福祉の世界で障害者たちのために地道にサポートして下さっている方々には、ほんとうに頭が下がる。
親よりも何十倍も根気強く、諦めることなく、障害者の自主性を尊重しつつ、 better life、happy life を追求してくださる姿勢に敬服するしかない。
今回もまた、感謝の気持ちでいっぱいになった。
[2月末のパリの街角で。
娘が大好きなピンク色に溢れていたので
足を止めた。
「au Nom de la Rose」…『薔薇の名は』。
一世を風靡した小説にちなんだバラ専門店らしい。
(小説は “au” ではなく、 “ le” だが。)
さりげなくオシャレだ。]